見出し画像

海の夢を見る

今日は、ラグの上で眠った。

わたしは、
どこでも、いつでも眠る。

「絶対に起きている」と断言できる時間は、「オフィスで仕事をしている時間」だけだった。
無職になったわたしは、本当に、いつでもどこでも眠る。

電車の中、オフィスで過ごす休憩時間、友達の家だって、自宅に友達がいるときだって
家にはベッドもあるのに、ソファーでも眠る。
暑いと、フローリングの上に倒れ込む。
フローリングの床って、どうしてあんなに、冷たくて気持ちいいんだろう。


ベッドがあるくせに、ソファーで怠惰に眠るのが好きだった。
ベッドより、包み込まれているようで
まるで、船で海の上を漂っているような気持ちだった。

海なんて、知らないのに

海には、数えるほどしか行ったことがない。
「海で泳いだ」という記憶は一度だけで、小学生の時に通っていたスイミングスクールのイベントのときだ。

わたしの家の前は川だったから、子供の頃の夏は、近所の川で泳いでいた。
夏の晴れた日、川に行けば誰かがいた。
そういう暮らしをしていたので、「わざわざ海に行く」ということを、ほとんどしたことがない。


川の水は、上流から下流に、落下するように流れてゆく。
例外はない。

海の、波は不思議だと思う。
「漂う」というのは、海の特権のような気がする。
川は「流れる」から。

おとなになったわたしも、海のことはよく知らない。
何度か、眺めたことがあるくらいで
未知への、崇高な憧れのようになってしまった。


ラグの上での眠りは、
「波」の上を、さまよっているような気持ちだった。

ソファーで眠るときは「暗い海に浮かぶ、一隻の船」の気持ちで
「どこへ行くかわからないけど、船から落ちなければ安心」という気持ちになるのだけれど、
ラグの上は、まるで葉っぱだ。
ふわふわと漂って、
不安定だけど、波をからだに直接感じているような、「漂う」という言葉が、ぴったりな気持ち。
ラグからはみ出した手足は少し冷たくなって、無機質なフローリングが、海水に変わってしまったみたい。

ふわふわ、わたしはさまよっている。

さまようことに飽きたら、船である「ソファー」に戻るのかもしれないし、
わたしを包み込んで離さない「ベッド」に戻るのかもしれない。
身体が痛くて起きて、気がついたらおなかがすいているかもしれない。
さまようような旅は、永遠を夢見せてくれるような気がするのに、いつも呆気なく終わる。


わたしは今日もさまよいながら、
海の夢を見ている。


スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎