わたしにとって、曲を作ってうたうこと
11月になったとき、思い立って弾き語りの練習を始めてみました。
ここ数年、
歌えもしない、曲もないのに弾き語りを始めて
ここ数ヶ月は、ずっとお休み中でした。
たくさんの力を蓄えて、
ようやくわたしは、歌うことに帰ろうと思えました。
帰らなきゃ、じゃなくて
ただただすこやかな気持ちで、帰ろう、と。
*
わたしにとって発信の場は、このnoteと
最近は、stand.fmでおしゃべりもして
ありがたいことに、Twitterでもお声かけいただく機会もあって
もうほんとうに、しあわせな毎日です。
何にならなくても、
何もしない生き方を、したくなかった。
もう充分なしあわせをいただいている中で、
それでもわたしは、へたくそな歌でも、うたってみてよかったと思っています。
*
弾き語りの曲たちは、3〜4年前に一気に作ったものたちです。
ここ、1〜2年は作曲そのものはお休みの時期だったかな、と記憶しています。
何もできないわたしでありたくない、
もう、ボーカリストに頼った生き方をする鍵盤屋ではいたくない。
わたしは、現状から逃げ出すために、大嫌いな「歌うこと」を選択して、歩みだすことにしました。
作った曲の中で、不出来だったり、自分で歌いきれないものもありますが
いま、数曲がわたしの手元に残っています。
*
歌う、という芸術活動は不思議なもので
もちろん、新曲を書き続ける場合が大多数ですが、「昔の曲を歌う」というのが、当たり前の世界です。
わたしが日頃蓄積している、「noteのエッセイ」「stand.fmのおしゃべり」「ピアノ日記」はどんどん過去になっていくのに、作ったことすら忘れてゆくのに
むかしの日記の内容を、すべて覚えていられないように。
でも、「弾き語りで作った曲」だけは忘れない。
正確には「過去になっている」のだけれど、
思い出せる。
あの曲を生み出したときのわたし。
そして、記憶は蓄積されてゆく。
あの曲と歩んできたわたしの姿が、なぜだかくっきりと浮かぶ。
「あなたの癖と笑い方も、ずっと変わらないものだったよね」
この歌詞を作ったときには、深い意味なんてなかったのに
この曲を演奏したときのライブに、懐かしい友達が遊びに来てくれて。
もう、なんにも言わずに、急に来て、びっくりして、
なんだよ、って言ったときの、あの笑い方が、昔とぜんぜん変わっていなくて。
懐かしくて、たまらなかった。
いまでもこの曲を歌うと、懐かしい友達の事を思い出します。
あれから、もうほとんど会っていなかったとしても。
*
曲を作るって、感情や記憶を、壁画のようにしてゆく作業かもしれない。
わたしはまだまだ曲が少ないから、
ひとつひとつの曲のことを、覚えていられる。
いつでも見える壁に、貼ってゆくように。
「毎日続ける」エッセイやおしゃべりは、どんどん上から新しい紙が貼られてゆくような感覚だけど
曲はずっと、そこにあるような気がする。
数年前に歌った曲を、その歌詞を見つめながら、わたしはそんなふうに思っています。
この半年間、無職になって、家にいる時間が増えて
わたしなりに努めて過ごしたつもりです。(たくさんサボったけど)
また、いまある感情を壁画のように残したい、と思ったら
わたしはきっと、曲を作ります。
もう充分、わたしは伝えてきたけど、しあわせにしていただいたけれど
やっぱり、曲を作ることって、わたしにとっては必要な、特別な魔法だったのかもしれない。
いまようやく、そんなふうに思えています。
Twitterに載せた、弾き語り動画のまとめリンクを発行しました。
いまある曲を大切にしながら、
わたしはまた一歩、踏み出すつもりです。
ここまで導いていただいたこと、何度も背中をたたいていただいたことに感謝ばかりです。
だからこれからも! 背筋を伸ばして歩いていきます。
「へたくそでも、好きなら歌っていい」って
わたしは世界に、そんな光を灯せますように。
スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎