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わたしにとって、曲を作ってうたうこと

11月になったとき、思い立って弾き語りの練習を始めてみました。

ここ数年、
歌えもしない、曲もないのに弾き語りを始めて
ここ数ヶ月は、ずっとお休み中でした。

たくさんの力を蓄えて、
ようやくわたしは、歌うことに帰ろうと思えました。

帰らなきゃ、じゃなくて
ただただすこやかな気持ちで、帰ろう、と。

わたしにとって発信の場は、このnoteと
最近は、stand.fmでおしゃべりもして
ありがたいことに、Twitterでもお声かけいただく機会もあって
もうほんとうに、しあわせな毎日です。

何にならなくても、
何もしない生き方を、したくなかった。

もう充分なしあわせをいただいている中で、
それでもわたしは、へたくそな歌でも、うたってみてよかったと思っています。

弾き語りの曲たちは、3〜4年前に一気に作ったものたちです。
ここ、1〜2年は作曲そのものはお休みの時期だったかな、と記憶しています。

何もできないわたしでありたくない、
もう、ボーカリストに頼った生き方をする鍵盤屋ではいたくない。
わたしは、現状から逃げ出すために、大嫌いな「歌うこと」を選択して、歩みだすことにしました。

作った曲の中で、不出来だったり、自分で歌いきれないものもありますが
いま、数曲がわたしの手元に残っています。

歌う、という芸術活動は不思議なもので
もちろん、新曲を書き続ける場合が大多数ですが、「昔の曲を歌う」というのが、当たり前の世界です。

わたしが日頃蓄積している、「noteのエッセイ」「stand.fmのおしゃべり」「ピアノ日記」はどんどん過去になっていくのに、作ったことすら忘れてゆくのに
むかしの日記の内容を、すべて覚えていられないように。

でも、「弾き語りで作った曲」だけは忘れない。

正確には「過去になっている」のだけれど、
思い出せる。
あの曲を生み出したときのわたし。

そして、記憶は蓄積されてゆく。
あの曲と歩んできたわたしの姿が、なぜだかくっきりと浮かぶ。

「あなたの癖と笑い方も、ずっと変わらないものだったよね」

この歌詞を作ったときには、深い意味なんてなかったのに
この曲を演奏したときのライブに、懐かしい友達が遊びに来てくれて。
もう、なんにも言わずに、急に来て、びっくりして、
なんだよ、って言ったときの、あの笑い方が、昔とぜんぜん変わっていなくて。
懐かしくて、たまらなかった。

いまでもこの曲を歌うと、懐かしい友達の事を思い出します。
あれから、もうほとんど会っていなかったとしても。

曲を作るって、感情や記憶を、壁画のようにしてゆく作業かもしれない。

わたしはまだまだ曲が少ないから、
ひとつひとつの曲のことを、覚えていられる。
いつでも見える壁に、貼ってゆくように。

「毎日続ける」エッセイやおしゃべりは、どんどん上から新しい紙が貼られてゆくような感覚だけど
曲はずっと、そこにあるような気がする。

数年前に歌った曲を、その歌詞を見つめながら、わたしはそんなふうに思っています。

この半年間、無職になって、家にいる時間が増えて
わたしなりに努めて過ごしたつもりです。(たくさんサボったけど)

また、いまある感情を壁画のように残したい、と思ったら
わたしはきっと、曲を作ります。

もう充分、わたしは伝えてきたけど、しあわせにしていただいたけれど
やっぱり、曲を作ることって、わたしにとっては必要な、特別な魔法だったのかもしれない。
いまようやく、そんなふうに思えています。



Twitterに載せた、弾き語り動画のまとめリンクを発行しました。
いまある曲を大切にしながら、
わたしはまた一歩、踏み出すつもりです。


ここまで導いていただいたこと、何度も背中をたたいていただいたことに感謝ばかりです。
だからこれからも! 背筋を伸ばして歩いていきます。

「へたくそでも、好きなら歌っていい」って
わたしは世界に、そんな光を灯せますように。





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