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しあわせな時間

しあわせだな、と思う。

同居人がいなかったり、寝ているあいだ
午前中。
この部屋の午前中は、いつだって少し暗い。
窓を開けて、煙草を吸う。
コーヒーを淹れて、キッチンを占拠する。
わたしだけの時間。

順序立ててわたしは、掃除をする。
手順はもうだいたい決まっていて、加えて「換気扇のフィルターも変えちゃおう」とか、「明日はゴミの日だから、ゴミをまとめちゃおう」とか、「加えて」の作業をできちゃうわたし。
えらい。
気持ちがずいぶんとほがらかだ。

きれいになった床を見つめて、わたしはうっとりとする。

しあわせな時間、というのはいい。
すてきだな、と思える。

じゃあ他に、しあわせな時間ってなんだろう、と思ったら
ひとりでソファーでごろごろしている、とか、なんだか「ひとりの時間」がたくさん思い浮かんで、笑ってしまった。
べつに、同居人がいることが、不快なわけじゃない。
生活に於いて、ずいぶんとおおらかな人だと思う。
わたしが担当の家事をサボっても叱られたことはないし、気づくと「いつもありがとう」と言ってくれるし、わたしがいつ掃除を始めても「どこうか?」と気を使ってくれる。
好き勝手させてもらっているなあ、と感謝しているくらいだ。

しあわせな時間って、「いつも同じことを、同じくらいしあわせと思えない」のが不思議だと思う。

こんなにわたしは、掃除をしてしあわせな気分になったりするのに、あるときは「めんどう。もうやりたくない」と思ったりする。
それでもやっぱり、「部屋が汚れていること」を許せなくなって、重い腰を上げる。
その過程で「やっぱり掃除は最高だな!心の洗濯だ!」と思うこともあるし、「このあとトイレ掃除もやらなきゃいかんのか…」と絶望するときもある。

毛布にくるまる午後も、「ごろごろしあわせだな〜」と思うし、「またごろごろしちゃってる……でもなにもしたくない……なにもできない、わたしはクズだ」と勝手に悲しくなったりする。

もふもふとしあわせなシュークリームを、にやにやと頬張ることもあるけれど、「甘い物!!!食べたい!!!我慢できない!!!また我慢できなかった!!!」と、自己嫌悪と一緒にシュークリームを飲み込むこともある。

あなたがいてよかった、と思うのと同じくらい
わたしは、ひとりの時間を求めてしまったりする。

しあわせの時間は、いつも違う。

しあわせな時間ってなんだろう、の明確な答えは出なかった。

なんでだいたいのことって、「めんどう」と「疲れる」と隣合わせなんだろう。

かつて友達に「どんなときにしあわせだと思う?」と尋ねたら、ゆっくりと笑って「こうやって、気の合う友達と話しているときですかね」と言われたことは、最高の回答だと思っている。
そういう夜は、最高の気持ちで帰路につくし、身体はふわっと軽くなっているのと同時に、たくさんの言葉を切り出した心は、満たされつつも少しだけ疲れてしまう。
言葉は、一定量を越えて発してゆくと、体力を蝕むような感覚に襲われる。

できるだけ、しあわせを感じられる心と身体を、維持しよう。
今日のわたしの回答は、このあたりだと思う。

具体的に「何がしあわせか」に即答できなくても、
結局、そういう心身のバランスが、わたしを守ってくれるような気がする。

午後になって、部屋に陽が入る。
わたしは午後を迎え入れながら、「すてきな午前中を過ごして、しあわせだったな」と、今でも思っている。




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