見出し画像

本屋で、果てしない旅をしている

本屋が好きだ。

なにをいまさら、と思うけど、やっぱり好きだと思う。
ばかのひとつ覚えみたいに、立ち寄るたびに「やっぱり好きだ」と思う。

化粧品だって洋服だって、おもちゃだって好き。
スターバックスも、特別に好き。
本屋もやっぱり、特別に好きだなあ、と思う。何度でも。

そもそも、本が好きなので本屋を好きに決まっている。
図書館もブックオフも好きで、それぞれよさがある。

でも、本屋の、
平積みされた本の、「さあ、どうぞ! 冒険へ!」と誘われる感覚が、たまらない。

言ってしまえば、図書館は本を売っていないし、
ブックオフは「ひとつの本をたくさん売ること」が大切なわけではない。
「この本の冒険のすばらしさ」を、「さあどうぞ!」と伝えてくれる本屋の
あの、きらびやかさときたら。

いつも、うっとりしてしまう。


どの本屋でも、まずは入り口の平積みされた本たちを見つめる。
かわいい字のポップとか、
ひとことでずきゅんと心臓を撃ち抜いてくる、帯に綴られる言葉たち。
気になるものは、やっぱり手に取って、ふんふんと眺める。

あれもこれも、気になってしまう。
この本は、わたしをどこへ連れて行ってくれるのだろう、とわくわくさせる。

流行りの本を見るのも好きだ。
うちのテレビは地上波が映らないので(ゲームと、FireStick専用)、自分のことは「他人より時事ネタとか、世間の流れに疎い」と思っている。
いまだと、「現在もらえる給付金一覧」とか「ZoomとSlackの使い方」とか、そういう本が並んでいた。
そうだよなあ、そういうのが必要だよなあ、と
ひとりで頷いて、満足する。
先月あたりに本屋に行ったときは、ストレッチとか、家でできる運動の本が並んでいて、やっぱり「なるほどなあ」と納得した。

そういうのは、自分で時間をかけて調べればわかることだし、
わたし自身についていえば、ZoomとSlackは、触っていいるうちになんとなく理解した。
でも、本を持つと安心する、というのも少しわかる。
いや、よくわかる。
紅茶の本とか、アロマの本とか、買うと詳しくなったような気がする。
気がしてしまうだけのことが、正しいことではない、ということも気がついているけれど
“そういう本にお金を払った”という自分に、安堵する。
そして、買った本は教科書のように本棚に並び、たまに眺めたりする。
「あそこに書いてあったかも」とか、気づいて手にとったりすると、なかなか良い気分だ。


おまけ付きの本も、まじまじと見る。
かばんとか、化粧品とかがついている雑誌たち。
「おとなの付録」を考えた人は、天才だと思う。
付録とかおまけって、子供だけのものじゃない。
おとなになったって、やっぱり大好きだ。
普段は、その値段で買えないものが買えたりして、”お得”と思ってしまうのも、やっぱりうれしい。
あれもこれもお得なので、基本的には見つめるだけにしている。


店内をぐるりと一周する。
よく行く本屋さんでは、定期巡回のように
初めての本屋さんでは、挨拶のように。

本屋さんごと、その立地ごとにある本は違う。
駅前の本屋さんでは、流行りものが多いし、”勉強する”本が多い気がする。
キッズコーナーが広い本屋さんは、”ああ、このへんにはこどもが多いのだなあ”と思ったりする。
都内の、ビジネス街の本屋には、漫画は新刊しかないし、やっぱりお仕事に関する本が多かった。
そういうのを、ひとつずつ確認してゆく。
地域の、その街に住む人の匂い。


パフェを食べに行った帰りにも、本屋さんに行った。
友達が「行くよね? 本、好きだよね」と言うので、ついてきた。
来たことのない、広い本屋さんで、入り口のところだけじっくり見終わったところで、
「満足した?」と声をかけられた。
友達は、漫画の新刊を買って、満足したらしい。

「満足したよ」と答えた。
このあと、予定があることもわかっていたので、そう答えた。

でも、ぜんぜん満足していない。
ひとりで、何十分も徘徊しないと、満足しない。
買いたい本があるときは、何冊も買いたいので厳選する。
それにも時間がかかって、ほんとうに果てしない。
果てしない、幸福。


わたしはこれからも、ふらりと本屋さんに吸い込まれて
果てしない幸福の時間を、過ごしてゆくのだと思う。



スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎