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鳥のカバンで飛べる

会社から、パソコンを持って帰ってきた。
土日の、空いた時間に仕事を進めようと思って

「自由に生きて、自由に働きたい」という理想を、少しずつ勝手に、叶えさせていただいている。
今までは「絶対休みの日に、家でなんか働きたくない」と思っていたけれど
「出掛ける前に、1〜2時間取れそう」とか、「会社行くの面倒だけど、ちょっとだけ進めちゃおう」とか、そういうふうに思えるようになった。

そういう気持ちもあってか、パソコンは軽く感じた。
大雨の中だったのに、身軽だった。

なんて書くと、少し「良いハナシ」のような気がするけれど、そうじゃない。
重く感じなかったのには理由があって、通勤カバンと、パソコンカバンをわけたから。
これに尽きる。

通勤カバンは、パソコンも余裕で入るサイズなんだけど、入れちゃうとめっちゃ重い。
パソコン用のトートバッグを用意してみたら、すごくラクになった。
ボロボロのーーー家の中でいちばん古い、トートバッグだった。
ポケットもなくてクタクタで、もう一度洗濯をしたら、穴があきそうなくらい薄くなってしまった。
身体になんか全然やさしくなくて、パソコンの重みをダイレクトに伝えてくるはずなのに

わたしにとっては勇敢な
やさしい記憶のカバンだった。

もしかしたらこのハナシ、前にもしたかもしれないけれど。



鳥が、封筒をくわえている絵のついた、トートバッグだ。
さっきも説明したように、とにかくボロい。
うちの中で、一番ボロい。

トートバッグっていうのは消耗品だし、そもそもお気に入りのがひとつ、去年またひとつ買い足してしまったので、古いものは捨てるべきだった。
それなのに、わかっていたのに
引っ越しのその最中でも捨てることができなかったのは、中野でもらったカバンだったからだ。

当時わたしたちは新中野に住んでいて、中野のリンキーディンクで練習をしていた。
相方はとにかく予定の多い人で、帰り道がそれほど一緒になった記憶はないのだけれど、ときどき彼女の家に寄った。
彼女のほうが中野寄りに住んでいたので、帰り道に立ち寄れる位置関係だった。

「カバンがさァ、ないんだよね」

なぜ、そういった状況だったか覚えていない。
覚えていないけれど、なかったんだと思う。
当時は楽器を背負っていたからリュックは使えなくて、使っていたカバンが壊れたとか、なんかそういうことだったんだろう。
とにかく、なかった。
そしてそれを、何の気なしに訴えた。

彼女は小さい身体をリスみたいにゴソゴソさせて(147センチのわたしより、もう数センチ小さいので、そりゃあもうリスと同じみたいなもんだ)
それから、鳥のカバンを持ってきた。

「じゃあこれ、あげる」

もう、7,8年ほど前のことだろうか。
彼女はきっと、このことを覚えていないと思う。
たぶん誰に対してもそうで、こういったことはめずらしいことではなかったと思う。
飢える人にパンを与えるような人だった。
誰かを、おなかいっぱいにすることが好きだった。
わたしも、そうやってたくさん助けられてきた。

わたしは彼女に憧れていたし、それが腹立たしかったし
いま思えば「腹立たしい」と思っても一緒にいられる、希少な人だった。
そういう意味で、家族みたいで、わたしは甘えてばっかりだった。
いまだからわかるけれど「腹立たしい」という感情そのものが甘えだったのだ。

あれからしばらくして、ふたりでスタジオに行くことはなくなった。
別にケンカ別れしたわけじゃないし、いまでも時々連絡をする。
返事は来てもこなくてもよくて、少なくとも「連絡をしづらい相手」ではない。
「相手どう思っているか知らないけど」と思うけれど、最後までわたしは、許され続けたと思う。
何度も、ひどいことをしてしまった、と今ではその甘えと無邪気さを反省しているけれども。

あの鳥は、自由の象徴だった。
憧れていたひとの、腹立たしいひとの、苛烈をゆくひとの、無敵なひとの
世界一愛したうたを歌うひとで
「会いたいけど、会えないくらいの距離がちょうどいいね」と言ったひとだった。

別に会いたくはないけれど
元気でいてくれればいいなァと祈るだけで、もう何かすることはないけれど

あなたからもらって栄養で、わたしは今日も生きている。
そんな気がして、パソコンも重たくないのです。





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