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良い旅

 それは、ピンクの靴紐だった。

 いつもの通勤電車の、ねぼけまなこで伏せたまぶたを、持ち上げたその瞬間だった。
 ピンクの靴紐だった。
 それは適切にくたびれていて、たくさん履かれて、いろいろなところへ行ったことが伺われた。
 良い靴だ、と思った。

 良い靴が、良い場所へ連れて行ってくれる。とも言うけれど
 きっと、たくさんの場所に行って、良い靴へと進化したんだと思う。そういう滲み方をしていた。

 良い靴だ、と思ったら、わたしの心もすうっと旅をしている気分になった。いつもの通勤電車なのに、良いものを見させていただいた。しばらく見つめていた。

 次の駅で旅立つ足元に、「良い旅を」と心の中で告げて、わたしはまたまぶたを伏せる。

 日常は、つまらないだろうか。
 日々は、繰り返しだろうか。

 わたしは通勤時間を億劫と思う以上に、もたらされる出会いに、家でも職場でもない時間を、時折すごく、頼もしく思う。


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