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弟と、絶対の約束

弟と話すとき、わたしは時々慎重になる。

おとうと、と特定の友人をそう呼んでいるけれど、「弟のような人」であって実際の弟ではない。
もう10年以上の付き合いで、当時年下の友人や先輩に囲まれていたわたしにとって、ほとんど唯一の年下だった。

弟という言葉に、わたしは「家族」という意味を込めている。
一緒に暮らしているわけではないし、血の繋がりもないけれど、
何か特別な繋がりの濃さ、を感じている。

もし、この人が同い年か、年上でも「弟」と呼んでしまったかもしれない。
なんとなくそういう、放っておけない空気というか、人の良さというか、
彼のいいところは「良い奴」であるところで、それ以外はけっこうダメなやつのような気もしている。

だからわたしは、弟のように面倒を見てしまう。
実際のところ、末っ子であるわたしだけれど。

基本的にはくだらない話をしているわたしたちだけど、時々神妙な顔をする。
これから、の話をするときだ。
今日は弟のこれからの話で、わたしは口を挟みたくのを抑えて、現状を確認するための質問を繰り返した。

状況を理解して、わたしは頷いてコーヒーを飲む。
なるほど、わかった。

「あなたはどうしたいの?」と尋ねるのが、姉としての役目のひとつのような気がしている。
弟はやさしく、あんまり強い意志で「これじゃなきゃいやだ」とか「絶対にこれがいい」とは、あまり言わない。
「誰かにそう求められているなら」とやんわりしていることが多い。
嫌なことがないわけじゃないだろうけど、そういうときは顔をしかめたり、「ちょっと…」みたいなリアクションで、はっきり言わない。

だから、わたしは尋ねる。
わたしは基本的に、やりたいようにやるのがいちばんだ、と思っている。
やりたいことが何かわからないときに、どっしり構えて話を聞いて、一緒に悩める姉でありたい。

それでもね、
わたしはあなたのおねいちゃんだから、時々こういう話をしてしまう。

あんまり、他人の人生に口をだすのはよくないと思っている。
血の繋がっている家族であっても、一緒に暮らしている人であっても
相談には乗るけれど。

でもほんとうは、弟のことが心配で、しあわせになって欲しくて
「危ない橋を渡って欲しくない」と願ってしまう。

予測で未来を話し過ぎることは不健康だと思うけど、
現状に於ける選択から想像するに「よくないほうに進みそうだ」と思ったら、ぐっと引き止めたくなってしまうんだ。

あなたがよければ、それでいいと思っているのに。
「なんとなく」なんて言われちゃったら、やっぱり「行かないほうが良いよ」って、言いたくなっちゃうよ。

だから、どこかをどうしても目指したいときには「絶対に」とそう言って。
そう言ってくれたらわたしは、絶対に応援する。

危ない橋でも、渡ると良い。
何が幸福かどうかは、君に決めて欲しい。
わたしから見たら危なく見える橋のその先に、君の幸福はあるのかもしれない。

「その先に絶対に幸福はない」とわかりきっていても、
あなたには、不幸になる権利がある。

わたしも母親に、そう言って育てられた。

「あんまり口出しすべきではないけど、ごめんね」と言うたびに、
「ありがとうございます」と、わたしが心配してくれたことに感謝なんかしてくれちゃうから、また口出ししちゃうかもしれない。

でもね、決めてるよ。
君が、「絶対」というときには、絶対に応援するよ。

わたしは、そうやって友達のことを、
家族と呼べるくらい親しく、大切ない相手のことを
大切にしたい、って思っているよ。

転んだときには、どうか笑ってあげるから
「だから言ったじゃん!」って怒るかもしれないけれど。
そこまでずっと、見てるから。



【photo】 amano yasuhiro
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