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都合の良い記憶

「リアルゴールド、飲みたい!」

この人、さっきはリアルゴールド飲んでたのに、また何か飲んでる。
今度は缶コーヒーか。
いいなあ。
でも、わたしさっき缶コーヒー飲んだし。
あ、わたしもリアルゴールド飲みたいなー!

頭の中では、そんな風に思考がめぐっていたのに
飛び出した言葉といえば「リアルゴールド、飲みたい!」だけであり、
その言葉は、目の前で缶コーヒーを飲んでいる人物に、まっすぐとぶつかってしまった。

「なんだそれは。おごれって言ってるのか」
「いや、そうじゃないけど」

わたしの思考は先に述べた通りで、おごって欲しいだなんて思ってない。
おごって欲しいときには、相手とタイミングを見計らって、もっとちゃんと主張する。

「いいよ、おごってやるよ」
「えっ、まじでっ??」

予想外の返事だったけど、断る理由はない。
そうしてわたしは、10歳年上の友達に、初めてリアルゴールドをおごってもらうことになった。


いろいろなことが一段落して、みんなでいろいろ話しているときだった。
慣れ親しんだ面々と、煙草に火をつける。

身体が、思ったよりもリアルゴールドを求めていた。
わたしが信じている飲み物は、乳酸菌関連の白い飲み物と、元気が出ると主張する黄色い炭酸だった。
「はーーーひとのお金で飲むリアルゴールドは最高だな!」
本当は、喉が乾いていただけかもしれない。
それも、わかっている。
でも、いい夜だと思えた。
なんだか、特別のようにうれしかった。


これからの人生で、あと何度リアルゴールドを飲むだろう。
そのうちの何度かは、今日のことを思い出す気がする。
120円でかけられた呪いのようなそれは、ちょっとうれしい記憶になった。



ボスの缶コーヒーの白いやつ。
あの甘いカフェオレは、いまでもやさしい記憶を連れてくる。

もう、5,6年以上前になると思う。
当時、よく話していた友人は口癖のように「コーヒーでも飲む?」と言ってくれた。
缶コーヒーについては「コーヒー味のジュース」と認識しているので、あえてブラックは選ばず、微糖とか、甘いものを選ぶ。
あの自販機でいちばん好きなのは、カフェオレだった。

彼は、黒い缶のブラックコーヒー。
わたしは、白い缶のカフェオレ。

いまより、肩に力を入れて物事を考えていた、20代半ばを過ぎたころの思い出だ。
あのときの悩みの大半を、わたしはもう覚えていない。
それでも、何度も飲んだあのコーヒーの甘さと
一緒に過ごした時間に救われたことを、わたしは忘れない。

話が行き詰まったり、わたしが馬鹿みたいに頭を固くして悩んだり
次のおもしろいことを一緒に考えたり
そういうときに、わたしたちは一緒に缶コーヒーを飲んだ。

いまでも、ちょっと苦しくなったりしたときは、ボスのカフェオレに逃げる。
あの頃のことを、やさしくされたことを思い出して
いまのわたしも、ちょっと許されたような気持ちになれる。

そんな、やさしい記憶の
そのうちの都合の良い部分だけ、いくつか抱えて生きていきたいと思う。
全部じゃなくていいけど、いくつか、そういう魔法みたいなものを、持っていたって良い。



イングリッシュブレックファストのティーラテ、オールミルク。
いまでも、わたしがスターバックスでいちばん美味しいと信じる飲み物を、何人かの友達に勧めた。
それは、元気がないあなたへのご褒美だったり、
それは、いまからあなたと特別な時間を過ごしたい、という合図だった。

だからもし、
あなたが苦しさを抱えて、ティーラテに逃げ込むようなことがあったら
わたしたちが過ごした、楽しい時間を思い出して欲しい。
電話をくれたっていい。


そんなふうに、思っている。



photo by amano yasuhiroTwitternote


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