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明日の朝、うたを歌う

また、失敗してしまった。

どきどき、そういうときがくる。
お互い、だったり、一方的に、だったりするけど
疲れているときだと思う。
気持ちの処理がうまくできなくなって、むすっとしてしまう。

その瞬間、わたしは悲しくなってくる。
すっとカーテンが降りてくるように、悲しみが落ちてくる。

おとなになったので、ある程度は操作できるようになった。
それは「一度閉まったカーテンを、いかに早く開けるか」の操作であり、
カーテンそのものを降ろさないようにする、ということではない。


悲しみのカーテンは、わたしだけのものだ。

実際のところはわからないけれど、
同居人のほうが理論的っぽくて、口が早かった。
わたしだってよくしゃべるほうだけど、感情が起因してしまうと、わたしは考え込んでしまう。
わたしが懸命に考えた言葉に、すばやいカウンターパンチが返ってくる。
その速度に、どうしても追いつけなくなる。

カウンターパンチを受け続けると、「同居人の悲しみや気持ち」のほうが早く言語化されてしまい
のろのろと考えているわたしは、「じゃあ、わたしが悪かったのではないか」とか
あげく、「わたしがこんな風に思ってしまうのがいけないんだ」なんて
むかしはよく思っていた。
けなげだった。
そして、けなげさを履き違えていた。


悲しみは、決して相殺されない。

殴られたほうが「痛い」というのが事実だとしても、
殴ったほうが「痛い」というのも、また事実なのだ。
相殺ではない。
どっちも痛いんだ。

「おれの気持ち考えた?」と、言われるのが嫌いだった。
同居人が、鬱病だったときとか、その前後のときだと思う。

「じゃあ、わたしの気持ちはどうなるの?」と、何度も思った。
あなたが殴られて痛いのはわかった。
じゃあ、殴ってしまったわたしの気持ちとか、原因とか、そういうのは、
いったい、どこへ行ってしまうんだろう。
この感情が、間違っているのだろうか。


間違っていない。
そもそも正誤の問題でないことはわかっているけど、あえて言わせてもらう。
間違っていない。
わたしは、わたしが傷ついた気持ちとか、怒った気持ちを、大切にするべきだ。
知るべき、だと思う。
そういう感情を、「悪者」にすべきではない。
それは、不誠実だ。
わたしに対して、不誠実だ。
そしてそれは、同居人以外の、わたしを愛してくれた人に対して、不誠実だ。

こうふくなことに、「愛されている」「大切にしてもらっている」という自覚は、たくさん持たせてもらっている。
同居人のことは大切だけど、
他にもたくさん、大切な人がいる。
友達のことは、大切にしたい。
友達が大切にしたくれたわたし自身を、ないがしろにするような、そういう生き方はしたくなかった。
「義理堅い」とわたしを称してくれたのは、かつての同居人だったような気がする。


わたしは、自分の大切な感情を守るために、黙った。
いちにち籠城して考えたけれど、自分の気持ちを言語化できなかった。
正しく言えば「伝えたあと、状況が好転するような言葉が見つからなかった」だと思う。
「わたしのすべてを受け止めて」というような、
自己満足なような言い方をすることも、なんだか正解のように思えなかった。

言葉って難しい。
たぶん、感情を言語化するのが難しいんだと思う。
言葉は便利だけど、それだけだと足りない気もしてしまう。


こんな問答は、もう何百回も繰り返している。
でもわたしが、自分の悲しみのカーテンを大切にする以上、この問答は発生する。
そうしてわたしは、「また失敗しちゃった」とか「うまくできなかった」と思ってしまう。


かるい絶望の中、煙草を吸いながら、このときのことを思い出した。


「へたくそでいいんだよ」と、
あの夜、同居人はうたうように言っていた。
そうしてわたしは今日も、いろんなことがへたくそなままで
それを申し訳なく思っていたわけだけど
「ああ、そういえばへたくそでいいって言われたな」と思い出した。

だから、「ごめん」と伝えた。
いまも、うまく言葉を選べなくてごめん。
昨日は「おれがぜんぶ悪いんだろう?」と言われて、謝れなかった。
だから今日は、「ごめんを聞いてくれればそれでいい」と伝えた。
「べつにいいけど、原因があるなら知りたい」と言われた。
「うまく言えない」と答えた。
「でも、ごめん」

「あしたにはまた、いつも通りにおはようって言おう」と言われた。
なかなか良い言葉だと思った。

わたしは良い言葉が見つからなかったので、へらりと笑うだけだった。
やっぱり、言葉は難しい。

明日も明後日も、うまく伝えられる気がしない。
でも「へたくそでいいならそれでいい」という気持ちを伝えるために、
きっとわたしはあした、笑顔でうたを歌うんだと思う。

君と僕の好きなうたを、一生懸命うたう。
わたしにはそれが精一杯で、充分だと思えた。



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