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ワセリン

いつからか、
君は、僕の人生の相棒になった。


ワセリンは、家中のいたるところに設置されている。
会社に勤めているときは、デスクの上に常備していた。
薬局にもよく売っている、お馴染みのやつ

ワセリンを常備する前は、メンソレータムのリップクリームを使っていた。
唇って、どうしてすぐに乾くんだろう。

唇だけじゃなくて、手の乾燥ともずっと戦ってきた。
ちょっと乾燥してるな、というときはハンドクリームを塗ればいいのだけれど
「手荒れ」になってしまうと、ハンドクリームは染みたり、痒くなってしまう。

そういうときは、ワセリンだった。
ワセリンは唇にも使えるから、メンソレータムにはご退場いただき(なんでか、あいつはすぐにいなくなってしまう)、ワセリンを常備するようになった。


ワセリンそのものに、治癒能力がないことはわかっている。
ワセリンは、「薬」ではない。

薄い膜、だと思う。

薄い膜が張られ、外界からわたしの手とか、唇を守ってくれる。
かさかさになったり、かゆくて我慢できなくなったり、ひどく荒れて傷のように痛みを伴うときも
空気とかそれ以外のものが、直接肌に触れないように、守ってくれる。


ワセリンの”薄い膜”は、江國香織さんの詩を思い出させる。
「すみれの花の砂糖づけ」という詩集に収録されている、
「あたしはリップクリームになって」という詩。
こんな内容だ。

「リップクリームになって、あなたのくちびるをまもりたい」
「日ざしからも乾燥からも、あなたのつまのくちびるからも」

わたしにとって、ワセリンは”直接触れない膜のようなもの”という感覚は、
この詩から、生まれたかもしれない。



“薄い膜”と言っても、メンソレータムと比べると、べたべたする。
べたべたすると、もうそれ以上触りたくなくなって、かゆくなくなる気がする。
乾燥を抑えられて、ずきずき傷まなくなるような気がする。
さっきよりも、少し治ったような、やさしい錯覚に陥る。

あれだけべたべたするのに、気づくと消えている。

だからわたしは、何度でもワセリンを塗る。
ワセリンの薄い膜は、外界からの刺激を遮断し、
わたしのすこやかな日々を、守ってくれているのだと思う。


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