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"ギャリック砲"の練習には、意味があった

ちょっと元気が出ない日、ていうのはある。

ひとりのときは、眠ったり、ゲームをしたり、掃除をしたりする。

同居人がいるときも、基本的には部屋にこもるようにしている。
別に、同居人が悪いわけではないけど、いつもよりいろんなことが気になってしまい、八つ当たりのようになってしまうのはいやだった。

八つ当たりしたくない。
ぐっ、とひとりで耐えたい。

ずっとハッピーでいられないのと同じように、
ずっと元気がない日や、時間が続くということはない。



元気がない日は、こちらの都合とは関係なくやってくる。
それが、同居人が家にいる時間であっても

ふたりのときも、ひとりのときも、まずは部屋に引きこもる。
苦しさが緩和するわけではない、ということも多いけど、ぐっと堪える。
そうして、少し気が済んだら部屋から出る。

「もやもやする〜〜〜」
「低気圧め〜〜〜」

同居人がいるときのほうが、気軽に声を出せる。
それはべつに、本人が聞いていてもいなくても構わない。

声を出すと、少し元気になったりする。

少し、うたを歌ってみたりすることもある。
ユーミンとかスガシカオとか、
ポケモンとかコナンとか、ドラゴンボールのテーマソングだったり、
同居人もわたしも、ガンダムWが好きなので、主題歌のTWO-MIXの曲とか。

わたしはあんまり歌詞を覚えられないので、半分以上は「ふふーん」とか「てーん」みたいに言っている。

歌うと、やっぱり元気になるような気軽から不思議だ。
ちょっとまじめに歌っても、ふざけた感じで歌っても。

「この続きなんだっけ?」と尋ねたりすると、同居人も歌ってくれる。
同居人は、わたしより歌詞もちゃんと覚えているし、歌も上手いし、ちょっとしたものまねもしてくれたりするので、「そうそう〜〜〜」と言いながら、わたしはケラケラと笑う。



最近の流行りは、”ギャリック砲”の練習だ。

ドラゴンボールで、ベジータが使う必殺技のひとつで、
悟空でいうとうころの”かめはめ波”的な存在である。

恥ずかしながら、ギャリック砲の存在は最近まで知らなかった。
そして衝撃だった。
こんな感じ。(ネットの拾い画ですが…)

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なんていうか、ちょっと複雑というか、
いや、ベジータのことはめっちゃ格好良いと前置きしたうえで言うけれど、「ちょっと間抜けな感じもするポーズ」であり、かめはめ波より難しい構えだと思う(当社比)

ちょっと真似しても、ベジータみたいに格好良くできない。
これは、鍛錬が必要だ…

部屋の中で、わたしはギャリック砲を練習する。
そうすると、ドラゴンボールオタクの同居人は「違う」と言ってくる。
やっぱり、うまく真似ができないのだ。
「手の向きが違う」
「下げるのは反対の足」と、いちいち指摘してくれる。

そうして、いちいち覚えられないわたしは、「こんな感じ?」と確認をして、
最終的に、ベジータに近い形のギャリック砲を放てるよう(な感じ)になる。

「ギャリック砲!!!」 わたしは叫ぶ。

ドラゴンボールの世界では、技を使うときに、技名を叫ぶスタイルだ。
早いときは2回、うまくいかないときは5回くらいやって「うん、合ってる」と言われる。

合っている、という言葉は、なんとなく嬉しい。
べつに、人生とか生き方とか選択が、いつも合っている必要はないということはわかっている。
でも、元気がないとき、自分を肯定されるように「合っている」と言われると、悪い気はしない。
「うむ、そうか」と、わたしは満足して、煙草に火をつけたり、パソコンの前に引っ込んだりする。

別に、元気がないからギャリック砲の練習を始めたわけではない。
純粋に、ベジータのマネをしたいという、小学生みたいな心境だった。
何度も練習して、うまくいくときも、いかないときもあった。
それはいまでも変わらない。

それでも、ギャリック砲の練習には意味があった。

わたしは、明日も明後日も、ギャリック砲をぶっ放しながら、生きていくつもりだ。


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