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師匠のピアス

わたしの人生には、たったひとりだけ「お師匠」がいる。

わたしに、ピアノを教えてくれた人だ。
4歳から18歳まで、わたしは同じ先生の元で、ピアノを習っていた。

習っていた、といっても
わたしは練習が大嫌いで
出された宿題(筆記の課題)も、レッスンの直前になって、母親に助けを求めていた。
助け、というよりも、「レッスンの直前に尋ねられるから、解き方ではなく、正解を教えるしかなかった」と、そののち母は語っていた。
わたしはそんな母の思いに気づくことなく、毎週「直前までやりたくない課題」を抱えながら、怠惰に暮らしていた。

それでも、わたしにピアノを教えてくれたのは、人生でたったひとり、
この先生だけなので、わたしにとってはやっぱり「お師匠」である。

お師匠は、鬼のようにピアノが上手かった。
びっくりするくらい大きな手で、気高いピアノを弾いた。

ピアノの先生だったわたしの母よりも、
母の何人かいる「ピアノの先生仲間」の誰よりも
わたしの師匠は、ピアノが上手かった。

師匠は、真面目な人だった、と思う。

そして、いま思うと気の毒だった。

先生になって、はじめて受け持った幼児科クラスの中に、ピアノの先生の娘がいる、ということにはすぐに気づいてしまっただろう。
田舎の、狭いコミュニティーの中で、それは隠し通せることではない。

ピアノの先生の娘なのに、親はピアノに対する一切のしつけをしなかったし
(わたしだって、母親からピアノに対する一切のしつけを受けたくなかったので、音楽教室に通うことにしたのだ)
練習だってしてこない。
師匠のピアノは、きちんと練習を積み重ねてきた人のピアノだったのに
わたしみたいな、怠惰な生徒への向き合い方を、きっとすごく悩んだと思う。

いまでもわたしが覚えていることは、「今週はなんの話しようかな〜」とか
遠足とか、お出掛けをするたびに師匠へのお土産を買って「今日はこれを渡して10分時間をつぶそう」とか
そういう、どうしようもないことばっかりだった。

それでも、10年以上も音楽教室に通わせてくれた母親には、感謝しかない。
このあいだ、ありがとうって言っておいたから、もうこれでチャラにして欲しい。

練習もしない、
親はピアノの先生でなんだか気を使う
手の大きい師匠に対して、わたしの手は本当に小さい。

師匠にとって、わたしは良いとこなしの生徒だったと思う。

それでも、何人もいる師匠の教え子の中で、幼児科のクラスから、高校卒業まで師匠のところに通っていたのは、たぶんわたしだけだった。

最後のレッスンの日、わたしは師匠にファービィーを送った。
いま思うと、なんでこれを選んだかわからないんだけど、絶対にファービィーがいいと思った。

(ファービィーのこと、覚えてますか? なんだかしゃべるぬいぐるみ? みたいなやつで、10年以上前はもっと安価で、ちょっと流行ってた? ような気がするんだけど。そういえばこれ持ってる友達なんかどこにもいなかったな)

師匠は、わたしにピアスをくれた。

18歳、
師匠の弟子になってから、14年。
高校卒業して、大学進学で上京する教え子には、なんだか夢みたいにぴったりの贈り物だと思った。

当時、ピアスを開ける予定はなかったけれど、わたしはせいいっぱいの笑顔で「高校卒業したら、開けようと思っていたの」とほほえんだ。
師匠からの贈り物は、ほんとうに嬉しかった。

今日、はじめてこのピアスをして、記事を書いている。

ピアスを開けたのは去年の夏で、
冬を越えながら、わたしのピアス穴は安定していった。

師匠からのピアスは、大事なライブのときにでも使おう、と思って
ひきだしに大事にしまったまま忘れ
気づいたら、ほとんどライブなんかしない、ただのニートになっていた。

まあ、でももういっか。
だってもらったの、18歳のときで、わたしもう33歳になるんだから。

わたしは10年間、何度も開けて閉じた箱から、さくらんぼの形をしたピアスを取り出した。
あれから10年以上経ったけど、これって似合うかなあ、と不安だったけど
シルバーに、ピンクの石がついたピアスは、びっくりするくらいわたしに似合った。

残念ながら、わたしのピアノは、師匠に似ていない。

それでもなにか、滲み出るようになって、血肉のようにあなたの音がするならば
もし、そういうふうになっていたら、嬉しいけれど。
もう、確かめるすべはない。

母もピアノの先生を卒業して、師匠の噂は聞かなくなった。
大学卒業後にやり取りしていた年賀状も、もう何年も送っていない。

でもね先生、わたしピアノ弾いてるよ。

先生がね、根気強く向き合ってくれて、叱らないでくれて
たくさん困らせたのに、あきらめないでくれて
親や親族、近所のおばちゃんたち以外で、わたしの成長を見守ってくれた、数少ない人だった。
わたしのいろんなことを、いつもよろこんでくれた。
全然練習しなくても、受け入れてくれた。(困っていたと思うけど)

だからわたし、ピアノ嫌いにならなかったよ。

わたしは先生にとって、不出来な生徒だったかもしれないけど
最後に、ピアスと一緒にもらった手紙、今でも取ってあるよ。
読み返すと泣いちゃうから、あんまり読まないようにしてるけど、いまでも憶えているよ。

「このあいだの発表会で、いつもあなたの前にレッスンを受けている中学生が、あなたの演奏を聞いて、同い年くらいなのに、とっても上手でびっくりしちゃったと言っていました。
同い年くらい、というのは笑い話ですが、
4歳の、ロケットバビューンからはじまったピアノが、ずいぶん遠くまできましたね」

そんなふうに、書かれていたこと。

わたしは全然練習しなかったし、まだできないことも多いけど
わたしはあなたの教え子で、しあわせだったよ。

先生、わたしを「ピアノ嫌い」にさせないでくれて、ありがとう。

師匠のピアス、って
なんだかドラクエの装備にでてきそうで、ちょっとおもしろいかもしれない、と思って記事を書き始めたのに
久々に先生のことを書いたら、ちょっとセンチメンタルな内容になっちゃった…

でも、こうしてたまには、思い出を引っ剥がしたって、いいか。

わたしは、何者にもなれていないかもしれないけど
あなたからピアノを教わったことは、いまでも誇らしい。

これからは、師匠のピアスは、いつも使ってるアクセサリーケースの、目立つところにしまうことにするわ。

ねえ、先生
30歳を越えたわたしが、いちにち3分でも毎日ピアノを弾いてるって言ったら、
どんな顔をする?


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