見出し画像

5月20日(新宿にて)

仕事をする。
なんとか、こなす。

鼻の奥というか、上というか、ずうんと痛い。
それが頭痛と繋がる。
また、味や匂いがわかりづらくなってしまった。
コロナウイルスに2度めの罹患、心当たりのある症状だった。

また、身体が動かなくなってしまったらどうしよう。
だから「身体が動かなくなる前」に仕事を切り上げなければいけない。
むかしから、腹八分目ってやつがわからないというのに。

出社して、短い時間で、最低限の仕事を片付ける。
明日もそれを、繰り返す。
家では食べて、眠って、家事をして、エッセイを書いて、たいていそれで終わる。

生きている。
でもすべてが後手だった。
生きている。
それだけだった。

「生きている意味を考えるという行為が驕り」である、と誰かが言っていた。
それは「自分には生きる意味があるという、大前提から発生する問題である」と。
そもそも生きていく意味などなくてもいいのだ、という前向きな解釈な話で、わたしは最近これをよく思い出す。

身体が動くラインを模索しながら、なんとか家賃を稼いで、それだけの日々だった。
職場は居心地がよく、花のひとつもなんとか買える暮らしは、決して不幸ではない。
不幸ではないのだけれど。

ああ、なんのために生きてンだっけ…



身体を労って直帰すべきだった。
しっかり休めばまた会社に行ける。
それは家賃を稼げるということで、家賃を払うということは今の暮らしに於いての大義だった。

でもそれじゃあ、それじゃあ、それじゃあさ
ひゅっと息を飲んで、首を横に振る。
そのままじゃあよくないと思って、仕事を早めに切り上げたわたしは歩き出した。
最近、また肺が痛むので、目的地までたどり着けるか不安だった。
ああ、せっかく禁煙したのにさァ… 頼むよ、肺。

なんとかたどり着いて、階段を降りる。
もう、何回降りたかわからない階段。そこが今日の目的地だった。

そこは新宿、WildSideTokyo
通い慣れたライブハウスだった。
今日は友達のバンドが出ると聞いていたので、見に来た。

どうせわたしの身体や人生がダメになっちまうんだったら
家に帰って寝るよりも、WildSideTokyoでメロマランディを見たあとのほうがいい。と思えた。
それは確信だった。

メロマランディとは、10年くらい前によく対バンしていた…と思う。
よく…かわからないけれど、何度か一緒にライブをした。
別の友だちから「めっちゃカッコいいバンドがいるから」と紹介されたのがメロマランディで、そのあとの対バンだったから印象深かっただけで、実際はそれほどのご縁でもなかったかもしれない。
もう覚えていない。

でも、彼らはいた。
10年前とあんまり変わらない姿で、ステージに立っていた。

この10年、わたしは仕事を3度変えて、怪我と病気で1度とずつまともに働けなくなって、2度恋人と別れて、それでも「ライフステージ」というものは大して変わらなかったと思う。
あの日の続き、或いは希望の残りカスみたいな毎日を送っている。

このひとたちの10年は、ライフステージと呼ばれるものが変わったかもしれない。
でも、ステージは変わっていなかった。
いや、変わっただろうけれど「相変わらず」と思わせてくれる振動だった。
10年前より、ライブの本数も、スタジオの本数も減っただろうに
一度乗り方を覚えた自転車の、それを忘れないみたいに
そして、ワインがどんどんと熟していくみたいな深みだった。
少なくとも、10年前とまったく同じメンバーで活動しているバンドを、友達を、わたしは他に知らなかった。

久し振りの友達にも会えて、わたしは満足して帰路につく。
いまでもあそこにいくと、「久し振り」と言ってくれるスタッフがいて、嬉しく思う。

もうわたしは何の答えも持ち合わせていなくて、肩書も、守るべきものもなくて、自分を蹴飛ばす言葉ばかりを持ち合わせているような毎日だけれど
「一度覚えた自転車の乗り方を忘れないみたい」に、わたしはこうして時々、ライブハウスに足を運ぶ。
ほんとうに、ときどきかもしれないけれど。
轟音の中で培われた魂と、呼吸法が、わたしの中に確かに在る。
そしていまでもあそこには、友だちがいる。

探し求めた答えに、ていよく巡り会えるわけではないけれど
そんなことを考えずにすむくらい、血液は心地の良いBPMで循環し始めている。





スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎