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黄金色の世界

西日の、黄金色を見つめている。

ぶわりと輝く、そんな時間があることには気づいていた。
6月、
このあいだまでの雨模様は少し遠くなったようで、夕方には晴れている時間が多いような気がする。

基本的には方向音痴で、
それでも地図を見て、ひとりでどこでも行けるおとなの、ふりをして生きられるようになった。
方角のことなんか基本的にわかっていないけれど、会社のあの窓は西側なんだろう。
夕方、気づいたら見つめている。
黄金色に、輝く窓。
何かに包まれている、と感じるのは、錯覚だろうか。

今日は自宅で、黄金の時間を迎えていた。

そういえば仕事休みの日はなぜだか雨が多かった気がするし、
このあいだ晴れていたときは、浮かれて散歩に行ってしまったから家にはいなかった。

いや、そんなことよりも、電気を消していたから、というのが大きかったのかもしれない。
キッチンに差し込むその色を、わたしは静かに、じっくりと見つめていた。

居間では、同居人が眠っている。
明け方に帰ってきて、すぐには眠れなかったようで、こんな時間まで眠りこけているのは珍しかった。
この男が眠っているあいだ、我が家のキッチンに明かりは灯らない。

明かりが要らないくらいの西日が、じんわりとキッチンを照らしている。
やっぱり、何かに包まれているような気がした。

いちにちが終わることを、むかしほど寂しいと思わなくなった。
何時からでも「俺のターン」みたいな時間は作れるし、1時間あればできること、2時間は必要なこと、
眠る時間から逆算して、
または、眠る時間を削ったって、うまくやれるようになった。
だいたい、夜眠る時間を削っているときは、昼寝をしているのだから仕方がない。

夕方はもう寂しくないのだけれど、日が長い日々を、わたしは愛おしく思っている。
「夏至が過ぎると寂しくなる」と言っていたあのひとの気持ちが、いまではようやくわかる。

寂しさとは違う懐かしさがこみ上げてくるのも、もう怖くはなかった。

部屋中が黄金色に輝き、居間で寝ている人の姿を見つめた。
誰かが眠っている姿を見ると、少しだけほっとするのはなぜだろう。

開け放たれた窓から、誰かのしゃべる声や、車の音が聞こえてきて、それもなんだか愛おしく思えた。
誰かの、何かの気配を感じながら眠る、というのも、悪くない。ということを、わたしは知っていた。
それはなんだか、包まれているようで、溶け込んでいるような気持ちにさせた。

この部屋がもし船だったら、こんな時間に旅立つのも悪くないだろう。
床の下に、ロケットみたいな装置がついていて、ぶわりと浮かび上がってゆく。
そして、黄金色のこの街を見下ろす姿を、少しだけ想像した。

このあいだ「今年ももう半分終わったのかあ」と言われて、「いやいや違うよ」となだめたことを思い出した。
「6月が終わったら半分でしょう?」と落ち着いて伝えたら、「そうかあ」と頷いていた。
「でも、毎日あっというまだね」
わたしは頷いた。

日々の速度は、年々増しているような気がするけど、反面おだやかになったような気がする。
数年前のわたしは、雨の音をゆっくり聞いたりとか、わざわざ窓を開けて雨を見つめたりしなかったし、西日が美しい、なんて思わなかった。
もっと、何かに追われているような、必死すぎるような毎日だった。
呼吸をすることに執着しなければ、死んでしまうような切迫感。

「家を選ぶときにいちばん大切なのはね、日当たりだよ」

そう言われたことを、今になって思い出す。
それは、30歳になる少し前のことで、内見に付き合ってくれた友達が、何度もそう言っていた。
洗濯機置場は部屋の中がいいとか、キッチンが広いほうがいいとか、いろいろあるけれど、彼女は日当たりばかりを見ていた。
「べつにいいのに」って、あのときは思っていたけれど、今ならわかる気がする。

わたしが息をするのに必死だった20代のころ、彼女はパタパタと走り抜けるような日々を送りながら、きっと西日を美しいと思っていたのだろう。
「いい天気だね」と笑う、彼女の姿を、思い出している。

次に彼女に会ったときには、「日当たりの大切のよさがわかったよ」と伝えようと思う。
「でしょ?」と言って、やっぱり笑う彼女の姿が、はっきりと思い浮かんでいる。




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