それでも、家族を大切に思っている

お茶さんのnote、「26歳、結婚がこわい」
心臓に、ずしんときた。

すごく、誠実な方だな、と思った。
すごく丁寧に、いろんなものを積み重ねてきて、
同じように「結婚」から続くフェーズでも、積んでゆけるのだろうかという不安は
真摯な生き方から、生まれてくるものだと思う。

(お茶さんの記事からの引用)
「結婚してうまくやらなければならない」「妻として、母として、ちゃんと役割を果たさなければならない」そんな気持ちがどこかにずっとある。そうやって自分自身を自分の「当たり前」で縛っていたのだ。


わたしはいま、同居人との気ままな同居生活を送っている。
結婚の予定はない。
いまのままで不便していないし、32歳になったいまも、「妻」とか「奥さん」になれるような気がしていない。
同居人も、何かの話の流れで「夫になりたくない」と言っていたので、それを聞いて、少しほっとした自分がいる。



そういえば。と思う。
すっかり忘れていたけど、そういえば。
「結婚が恐い」と思って、恋人と別れたのが、25歳くらいのときだったと思う。

元恋人は、大学時代の先輩で、文学部を出たあと、そのまま大学院に行って、学校の先生になった。
彼の父親も、学校の先生だった。
彼が学生のときに、わたしと一緒に暮らしたいと父親に言ったら、殴られたと言っていた。
彼の母親は、いまでも彼が小さいときのことを夢に見るのだと言っていた。
わたしの親とは、全然違って、未知なるものへの恐怖があった。

このまま、彼と一緒にいたら結婚をして、子供を産むのだろう。
それは、そのときのわたしにとって「一生安泰切符」のように思えた。
もちろん、結婚して子供を産むことがゴールだとか、安易だとか言っているわけではない。
実際、結婚をして子供を産んで育てている友達のことは尊敬している。

彼といたらわたしは、ライブ活動に比重をおいた音楽と、ライブハウスでのアルバイトを辞めなければいけないような気がしていた。
辞めるべきだ、と思っていた。

結局わたしが辞めたのは「彼と一緒に生きること」だった。
わたしの身勝手な裏切りだったのかもしれないと思うと、後悔こそしていないけれど、胸が痛む。
後に知らされたのだけれど、教員採用試験に受かるために、努力をしていたらしい。
そのあいだわたしは、彼とほとんど話すこともなく(迷惑をかけたらいけない、と思っていたら話せなくなった)、音楽活動の幅はどんどん広がっていた。

道を違えた。
この言葉が、しっくりくると、わたしは思っている。

人生で初めての恋人だった。6年ほど一緒にいた。
大切なことを、たくさん教えてもらった。
生きることも、音楽のことも
ありがとう、もう色褪せているけれど。



いま、わたしは自由だ。
それは無職さがもたらす「好きな時間に何をしてもいい」という自由だけではなく、
どこへ出掛けても、何をしても、何を買っても、わたしの自由だ。
“同居人”という言葉は気に入っている。
家事はお互い得意なほう(同居人は料理、わたしはそれ以外)で分担しているけれど、お互いひとり暮らしが長いので、自分のことは自分でできる。
得意なことをやることで、お互いにラクをさせてもらっている。
ただただ、お互いの暮らしと空間をシェアすることを許した、そういう相手だった。許すまでに、相当の時間を要した。なかなか、難しかった。
わたしは自分が自由であることを求めるし、同居人は他人に気を使いすぎるので、わたしからすれば「もっと自分で考えて、自分の好きにしなさい」くらいに思っている。


32歳、いまのわたしが気をつけていることは「相手を大切に思う気持ち」を持ちながら、「過渡に依存しないようにすること」。
「同居人を”自分にとって必要な家族である”」と自覚をしながら、「同居人がいなくなっても、生きられる自分」を、どこまで共存させられるか、だと思う。

それは、結婚をしていないから、いつ同居を解消するかわからない、というたぐいの話ではなく
この人がいつ、病気になったり死んでしまったりするかわからない、いつでもいなくなるリスクがある、ということだ。考えすぎかもしれないけど。


もともと、結婚したいとか、子供を生みたいとか育てたいとか、思ってないし
少なくともわたしは、両親から何の圧力も受けていないので、もうしばらく、どれくらいの期間になるかわからないけど、気ままに暮らす。


25歳のわたしが、いまのわたしを見たらどう思うだろうか。
たぶん、腹を抱えて笑うと思う。
「まじで、あたしらしいわ!」と言って、笑う気がする。
だって、32歳のわたしも、そう思ってる。

この家で暮らして、もうすぐ4年。
“気まま”と言えるようになるまで、ずいぶん時間がかかった。
少なくとも、前回の家の更新時期くらいには、同居人の鬱病がひどく、「自分の身を守るために、出て行かなくてはならないかもしれない」「この人が、世界のどこかで野垂れ死ぬことを覚悟して、わたしは自分のしあわせを貫かなくてはならないかもしれない」と、思っていた。

努力して、努力して手に入れた平穏だった。
もういろいろめんどうなので、しばらくはこのまま、やっぱり”気まま”に暮らしたいと思う。








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