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シャネルの口紅

鏡を見て、自分の顔色の悪さにびっくりした。
なんだか、真っ白だった。
それは”美白”的な白さじゃなくて、なんと例えればいいんだろう。
霊的な?
そういう、のっぺりぼんやりとした顔だった。

わたしは、慌てて口紅を塗った。
シャネルの口紅は、無職になってしばらく経って、化粧ポーチからデスクに移住した。

恥ずかしながら、というか
いま思うと信じられないのだけど、数年前まで口紅を持っていなかった。

たぶん、マジョリカマジョルカのリップグロスを使っていたんだと思う。
あの、どろっとした感じと、あんまり色が濃くないのが、その当時のわたしにはちょうどよかった。

マジョリカマジョルカを信じていた頃、友達が何本かの口紅を譲ってくれた。
化粧品は、なかなか使い切らないのに、ついつい欲しくなってしまう。
その、おこぼれに預かるような、お下がりだった。
(衛生的に、化粧品のお下がりなんて、とか、口紅も使用期限があるとか、そういう話はいったん忘れて欲しい)

試し塗りして、何本かの口紅をもらった。
真っ赤なシャネルの口紅は、当時のわたしに対して、圧倒的に”浮いて”いた。
大して化粧もしていないのに、唇だけが、赤い。
それでも、「どうせ使わないから、いいよ」と言われて、持って帰ることにした。

この口紅は、ライブのときにだけ、大切に使っていた。
ライブをするときは、それなりに化粧をしているような顔をしていたし、ライブ前に煙草を吸う、とか、香水をつける、とか
そういう”安心するルーチン”の中に、加えていた。

いま、シャネルの口紅は、わたしのデスクに佇んでいる。
デスクは散らかっているけれど、できるだけ倒さず、お気に入りの場所に立たせている。

毎朝、はそんなふうにできないけれど
少し背筋を伸ばしたとき、わたしは外出の予定がなくても、いつもの指輪を左手につけて、ピアスをつけて、そして、シャネルの口紅を塗る。
少しだけ、しゃんとしているように見える。

不思議なことに、というか、ただただ30代になったからかもしれないけれど
あのとき浮いていたシャネルの口紅は、不思議とわたしに馴染んでいた。
友達の見立てに、間違いなかった。

シャネルの口紅を一度塗ると、しばらく経っても顔色が悪くならないような感じがして、好きだと思う。

それでもときどき、「あのときはあんなに似合わなかったのに」と、思い出す。
不思議だな、と思う。

黒いボディーに、金色の線がついている口紅は、わたしをいつも、少しだけおとなに見せてくれる。
部屋でころがる小動物から、人間に昇華させてくれる。


遠慮せず使ってみても、なかなかなくならない。
それでも、いつかなくなる日がくる。
必ずやってくる。

そのときは自分で、シャネルの口紅を買うつもりだ。






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