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家族という、放牧の輪

兄が遊びに来た。

兄のような人、家族のような人、とわたしが呼ぶ人は何人かいる。
今日話すのは、そういった”同じ釜の飯を食った”というたぐいの仲間の話ではなく、
たったひとりの、”実兄”のことである。

わたしはふたり兄妹で、
たったひとりの兄は、ひとつ年上だ。

彼は、不思議な人だ。
いま、少し手を止めて、兄と自分の共通点を探してみたが、思い浮かばなかった。
同じ人間を、母とか父とか、祖父母とか呼ぶこと以外、ほとんど共通点が見当たらない。

「正社員になるのはなんか違う」と言いながら、アルバイトのままでいたら仕事をクビになったわたしに対して、
兄の夢は、いまの会社で正社員になることだし、
わたしが職を失ったときに「べつに、仕事がなくなっただけだから大したことはない」と言ったら、「仕事がないのがいちばんまずいと思うんだが」と、真顔で返事をしてきた。

わたしより、しごくまっとうな人だと思う。
わたしがあんまり”まっとうじゃない”のだとしたら、その部分を全部兄が持っていってくれたとしたら、なるほど納得である。というような具合だ。



兄がうちに来るのは初めてだったので、駅まで迎えに行った。

近況を聞いてみたら、4月からはじまったリモートワークは続行。
7月に入ってリモートが解除される予定だったが、そのタイミングで感染者が増えたので、今日までリモートワークしている、ということだった。
「人と話すのは久しぶりだ」と言っていた。

そもそも兄は、友達を必要としないタイプである。
友達を作れないとか、孤独を愛するとか、見栄を張るとか、そういうのでは一切なくて
友達がいなくても、平気なタイプだった。

そんな兄でも、これだけ長いことひとりで家にいることに、少し苦しさを感じていたようだった。
以前、送られてきたLINEに、そんな気配を滲ませていた。
その気配に気づけてよかった。
今日、誘ってみてよかった。



家では同居人が、魚をさばきながら待ってくれていた。
わたしは兄の好きなものをほとんど覚えていなかったが「お刺身が好きだった気がする」と言ったら、魚を買ってきてくれた。

同居人が魚をさばくのを見ながら、わたしたちは話をした。

わたしたち兄妹のささやかな昔話とか、
兄の仕事の話とか、

途中、兄と同居人がゲームの話をしているのを、聞いていた。

わたしのゲームやアニメの知識は、兄からの受け売りが多い。
そして、普段のわたしと同居人も、アニメとゲームの話が大半を締めている。
兄のほうが記憶力がいいし、ゲームには詳しいので、兄と同居人の話は大いに盛り上がり、わたしには半分くらい意味がわからなかった。

だけど、たのしそうだった。



ごはんを食べて、ゲームをした。

ひとりプレイのゲームを、兄や同居人がやっているのを、順番に見たりした。まるで、実家にいたときのわたしたち兄妹が過ごした時間みたいで、少し懐かしかった。
そのあと、兄が貸してくれたスマッシュブラザーズを4人でやったり、
マリオパーティーは白熱した。
「なんで俺ばっかり狙われるんだ!??」
あの兄が、声をあげて笑っていたし、負けて本当に悔しがっていた。

わたしは、兄が声をあげて笑っているのを、久し振りに見た。



暗くなる頃、兄は帰っていった。
最寄り駅まで送って「また遊びにいかせてもらうよ」と言って、別れた。



帰り道、わたしは母に電話をした。
「兄が、すごく楽しそうだった」と報告した。

兄に友達がいないことを、母はほんの少し気にしていた。
それは「友達は多いほうが良い。友達を作ったほうが良い」というような概念的な話ではない。
だから、気にしていると言っても「ほんの少し」くらいなものだと思う。
でも、確かに気にしていた。

わたしと兄のツーショット写真を、同居人が母に送ってくれていた。
「写真見たけど、あんなに楽しそうな顔は見たことないよ」と、母もよろこんでいた。

わたしは、母がよろこぶだろう、と思って電話したのだ。
べつに、母のための良い行動をしようだなんて微塵も思っていない。
その代わりに、いいことやおもしろいことがあったら、報告をするようにしている。
わたしの目論見通り、母はよろこんでくれた。



帰って、同居人にお礼を言った。
ごはんを作ってくれたこと、兄に偏見なく接してくれたこと、母に写真を送ってくれたこと。

「たのしかったよ」と、同居人は笑っていた。
母に言わせれば「同居人も繊細な人」らしいので、繊細な人らしく、まだ親しくない来客で、少し疲れたようだった。
そしてそれは、すこやかな充実感だという。

「うちの家族にばっか、巻き込んですまないね」と、わたしは言った。
わたしは同居人の親にも、妹にも会ったことがなかった。
そして、あまり仲がよくないことを、知っていた。


わたしは今日、不思議な気持ちで兄と同居人の横顔を見ていた。
同じ親から生まれたという理由で、問答無用で17歳まで同居をした兄。
そして、腐れ縁のように、だけど確実に”自分で選んだ”と、お互いに断言できる家族である同居人。
どちらも、わたしの家族なのだ。
へんなの、と思う。
これ以上の言葉がない。
でも、ふたりが仲良くしてくれて、ほんとうによかった。


「君たちの家族にまぜてもらえて、よかったよ」
そう言われて、わたしも本当によかったと思った。



“不幸になる権利もある”というのが、母の教えだった。
母は、母のしあわせを、わたしたちに決して押し付けなかった。

「結婚しろ」とも、「結婚しないの?」とも、
母も兄も言わないことに、同居人は少し驚いたらしい。

わたしたちのしあわせは、苛烈だ。

各々が決めた「しあわせ」の形に、邁進しなくてはならない。
人生に、正解はない。
正社員になりたければなればいいし、結婚したければすればいい
友達だっていなくたっていい
自分のしあわせを見失わなければ、
そして、諦めなければ、それでいい。

わたしたちの家族は、そういう輪の中で生きている。
放し飼いの輪だ。
家族という輪の名前で呼んでいるけど、完全に個の放牧だ。

でも時折、こうして時間やタイミングが重なるとき
一緒に時間を過ごしたり、話しをしたりする。


同居人も、この放牧の輪の中で、自由に生きてくれたら嬉しい。
彼には、しがらみが多そうだったから。

そして、また兄とも遊んでやって欲しいと思う。

わたしたちは結婚する予定はないし、もちろん兄に彼女はいない。
でもこうして、母が教えてくれた気高さを
わたしたちみんなで、受け取っていけたら良いと思う。


photo by amano yasuhiroTwitternote



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