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君に伝えたい百の言葉

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あなたに伝えたい言葉が残っている。見失っても、百個積んだ先に何かがあるかもしれない。光を追う者のエッセイ集
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#音楽

2023_0721_箱と場所

気がついたら、デスクが乱雑していた。 乱雑というのは、唐突に訪れる場合と、蓄積で訪れる場合があって、今回は後者だった。 気づいたら、ひどいありさま、ってやつ デスクの引き出しにも、化粧ポーチにもしまえない背の高いボトルとか 使用頻度が高いネイルとかアロマ それから、虫刺されの薬(バルコニーで転がっていると、どうしても虫に刺される) これはよくないって、本当は片付けたかったんだけど、この子たちには行き場がない。 引き出しや定位置から溢れたそん時なので、片付けると言っても隅に寄せるくらいしかできない。 そもそも、ここにあったペン立てが出張中なので、広い場所に対してボトルやビン類がとっ散らかってしまったのだ。 難しい、 その余白に、人も物も暴れるのだろうか。 その隙間さえなければ、発生しない問題もあったかもしれない、と思う。 結局のところは、理想と現実のすきまに落っこちるように、デスクは散らかったままだ。 そして、帰るところのない物ものたち。 箱を買った。 無印で、小さい箱。 箱っていうか、蓋のないやつ。 基本的にずぼらなので、蓋のないものを愛している。 箱というか、四角いその小さい仕切の中に、並べた。 そうしたら急に、きちんとした人みたいになって驚いた。 本当にびっくりしてしまったので、驚きついでに他の場所も片付けちゃった。 ああ、なんだ 箱にしまえばいいんだ。 場所を与えればいいんだ。 わたしに足りないのは目的地でも決定打でもなくて、 箱と場所だったのかもしれない。 箱と場所を用意するためには 積載量を理解する必要があって 箱を買ったならば、何をしまうのか考えなければいけないから 一筋縄ではいかないかもしれないけれど 箱を用意しよう。 安心する箱 帰りたいと思える箱 余すことなく装備できるように、いろいろが見渡せる場所 だからこそ、進もうと思える場所。 箱を探そう。 足りないから求めたり 持ちすぎたから削ったりする前に わたしにぴったりの、箱を、探そうと思っている。 【photo】 amano yasuhiro https://note.com/hiro_pic09 https://twitter.com/hiro_57p https://www.instagram.com/hiro.pic09/ (無印で買った箱) https://www.muji.com/jp/ja/store/cmdty/detail/4549337495562

おじさんたちが、元気な世界が良い

知り合いのおじさんが主催するライブに 知り合いのおじさんが出るっていうから 遊びに行ってきた。 有り難い。 もう、知り合って十余年も経つのに。 まだこうして声をかけてもらえる。 会場に行ったら、「久し振りだねぇ」と声をかけてもらえて、知っている顔がちらほらいて、なんだか嬉しくなってしまった。 最近はライブハウスの出入りも減って、周りも後輩ばかりになってきたけれど おじさんたちと話していると、20代で、バーカウンターで煙草ばっかり吸っていた自分のことを、深々と思い出せる。

ボタンがあるなら押してみたい人生を

ちょっとやってみようかなあ と、思う。 ちょっと、と心がくすりと笑いながら手を伸ばすとき わたしは必ず、ぎゅっと掴む。 ちょっとでいいんだよ。 ぜんぶやらなくていい。 さいしょから、完璧にできるわけもないよ。 だいじょうぶ。 「ちょっと」と言うとき わたしの心は、幼い子供ような無邪気さで笑っている。 それはなんだか、たのしい予感だった。 * 今日は、ちょっと試しに さっき聞いた曲をイメージしてピアノ弾いてみよう、と思った。 曲に散らばる要素の幾千万から、たったひと

手の掛かるピアノ

毎日ピアノを弾くようになってから、650日ほど経つ。 毎日、という名の、48時間に2回くらいのペースで。 鍵盤の上を滑っているあいだは、1分から3分。体当たりの即興演奏。 思い付きで始めて、辞める理由が思い浮かばなくて今日まで来た。 ピアノを嫌いになれなかった。 あなたのいない人生を、結局のところ考えることができなかった。 小指の先だけでも繋がっていたかった。 いつでも、あなたの元へ帰りたいし逃げたいし、甘えたいと思っている。 ピアノはいつでもそこにいる。 わたしが勝手に、

おやゆび

ずきり、と鈍く響くのは、いつも親指だった。 右手の、古傷。 古傷が生まれる前、のことを、わたしはもう上手に思い出せない。 あの瞬間、わたしの記憶は分断された。それにしたってもう昔の出来事だった。 いまは、痛みだけが残っている。 なにかしらの不調や、季節の変わり目や寒暖差、 原因はよくわからないけれど、右手の親指の付け根が響くように痛みだして、右肩までじんわりと抜けてゆく。 これを、繰り返している。 * 単なる、ウィークポイントの話だ。 風邪をひくと、いつも声をガラガ

大切なことは、ライブハウスに教わった。

新しい部署に移動して、2週間が経った。 教えてもらって、まとめて、 それを確認しながらもう一度やってみる前に、新しいことが舞い降りてきて 気づくと、繋がっている。 「Aと流れは一緒なんですね」とか 「AがあるからBってふうになってるんですね」なんて言いながら、「そうそう」「なるほど」と笑い合う。 ゴール地点を見据えて、少しずつ前に進んでいることに、強い実感を伴う日々は、慌ただしく過ぎてゆく。 * “仕事”ということの大枠を考えるときは、いまでも思う。 大切なことは、ライ

わたしの未来を生きていて

メッセージを開いたら、写真が届いていた。 誰かの顔のアップで、それが送り主でないことだけはすぐにわかった。 「誰だよォ」と思いながら、タップした3秒後には泣いていた。 顔を見た瞬間、ほんとうに、じわりと涙が滲んできた。 ほんとうに、久し振りに見る顔だった。 仲間内で話題になっても、「最近会った」という人はいつもいなかった。 それでも、懲りずに名前は挙がり、「元気かなあ」とか、「元気だろうね」とか、思い出話に花が咲いたりしていた。 久し振りの集まりに顔を出したということは

牙を研ぐ

「松永さんに、お願いしたいことがあるんです」 バンド時代の後輩、という言い方は偉そうで気に食わないのだけれど 友達、という言葉も少し違う気がする。 相手が年下だから、便宜上「後輩」と言う。 そういう相手から、久し振りに連絡が来た。 彼からの連絡が久し振りであること以上に、わたしは「お願いしたいこと」に戸惑った。 わたしに? お願いしたいこと? 何かわたしにできると思ってるってこと? ほんとに? わたしが役に立つことって存在する?? そうだ、とりあえず話を聞こう。 わたし

真空パックの呪い

音楽をやってきた、という言い方はしっくりこないのだけれど 誰かに経歴を伝えるときには、どうしてもこの言い方になってしまう。 実際、音楽をやってきたのだとも、うすぼんやり思っている。 大学では軽音部、 卒業してからはライブハウスに入り浸った。 そんなわたしのiTunesや、iPhoneの「ミュージック」アプリには、”友達の曲”というものが、存在する。 数はきっと、少なくない。 わたしの世代は、「CDを焼く」ことができるようになり、簡単にデモCDの配布もできるようになった。

苦手なラーメン屋だってある

このたび、のぎさんにお誘いいただいて、「同じテーマで書く」のぎ企画、参加させていただきました! のぎさんからDMをいただいて、「まつながさんと何か一緒に作りたい」と言っていただけたこと、本当に嬉しかったです。 えっ、わたしでいいの???って、500回くらい思った… 漠然と「何か一緒に作りたい」から、お互いに案を出して、まとめていく作業も のぎさんの文章を読んで、そこから自分の世界を再確認して切り開く作業も、ほんとうにしあわせな時間でした。 なにより、のぎさんが「心の底から

ピアノとわたしの1年間

そろそろだな、と思っていたら今日だった。 本日、2021年1月22日 ピアノ日記の1周年記念日でした。 1年前の今日、 はじめて、SNSに自分のピアノを公開しました。 いままでバンド活動で音源を載せてきたことや、へたくそな弾き語りを載せてみたことはあったけど、「ピアノ1本」っていうのは初めてで。 でも、できないわけがなかったの。 わたしは音楽活動の中で、「朗読+即興ピアノ」のスタイルでライブをしていた時期があったから、あのときのピアノをそのまま弾けばよかった。 それ

なんと健全な痛みだろう

(ああ、そうだった) 明滅するひかりを追いながら、わたしは思い出している。 2020年12月28日 町田プレイハウスの年末イベント、”渾身の一曲”に招かれていた。 プレイハウスに縁のあるミュージシャンが、タイトル通り”渾身の一曲”を披露する、という忘年会イベント。 今年は、無観客の配信ライブで、出演者の約半分も事前収録での参戦となり、会場が密にならないよう、気遣われていた。 去年よりずいぶん人が少ないのに、似通ったあたたかさがあるのは、なぜだろう。 「久し振りだね」と、

神様のこども

ときどき、神様のことを思い出す。 そういうときは、だいたい音への自信を失ったときで わたしはすがるように、宝箱の奥底に眠る言葉に触れる。 神様とは、ギターの神様のことで、わたしに音楽の多くを教えてくれた人だった。 音楽の多くと、 バンドに於いて大切なことの大半を、わたしはこの人に教えてもらった。 バンドのバの字もわからないわたしだったけど、神様の真似をしてコードを刻むと、わたしはいっちょ前のバンドマンみたいに、うまく弾けるようになった気がした。 「ギターソロを弾いてい

わたしにとって、曲を作ってうたうこと

11月になったとき、思い立って弾き語りの練習を始めてみました。 ここ数年、 歌えもしない、曲もないのに弾き語りを始めて ここ数ヶ月は、ずっとお休み中でした。 たくさんの力を蓄えて、 ようやくわたしは、歌うことに帰ろうと思えました。 帰らなきゃ、じゃなくて ただただすこやかな気持ちで、帰ろう、と。 * わたしにとって発信の場は、このnoteと 最近は、stand.fmでおしゃべりもして ありがたいことに、Twitterでもお声かけいただく機会もあって もうほんとうに、