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君に伝えたい百の言葉

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あなたに伝えたい言葉が残っている。見失っても、百個積んだ先に何かがあるかもしれない。光を追う者のエッセイ集
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#ライブ

大切なことは、ライブハウスに教わった。

新しい部署に移動して、2週間が経った。 教えてもらって、まとめて、 それを確認しながらもう一度やってみる前に、新しいことが舞い降りてきて 気づくと、繋がっている。 「Aと流れは一緒なんですね」とか 「AがあるからBってふうになってるんですね」なんて言いながら、「そうそう」「なるほど」と笑い合う。 ゴール地点を見据えて、少しずつ前に進んでいることに、強い実感を伴う日々は、慌ただしく過ぎてゆく。 * “仕事”ということの大枠を考えるときは、いまでも思う。 大切なことは、ライ

バンドマンの彼女にはなれない

事実はタイトルと相反していて、わたしはバンドマンの彼女だった。 もう、10年近く前のことになる。 大学に入って軽音部に入ったわたしは、バンドに憧れていたのだと思う。 音楽に惹かれていた、というほうが正しかったかもしれない。 ピアノのレッスンに通っていたわたしから、脱したかった。 嫌いだったのはレッスンだけで、先生も、音楽教室の存在そのものも、わたしは好きだった。 おそるおそる、軽音部の新歓ライブに潜入して、その後すぐ入部を決めた。 初めてライブハウスに行ったのもその頃で、

真空パックの呪い

音楽をやってきた、という言い方はしっくりこないのだけれど 誰かに経歴を伝えるときには、どうしてもこの言い方になってしまう。 実際、音楽をやってきたのだとも、うすぼんやり思っている。 大学では軽音部、 卒業してからはライブハウスに入り浸った。 そんなわたしのiTunesや、iPhoneの「ミュージック」アプリには、”友達の曲”というものが、存在する。 数はきっと、少なくない。 わたしの世代は、「CDを焼く」ことができるようになり、簡単にデモCDの配布もできるようになった。

「元気そうで、よかったよ」

Sちゃん、という友達がいる。 いまではしれっと「友達」だと思っているけど、Sちゃんのことは「大学の先輩の友達」と認識していた。 詳細は覚えていないけれど、確かにそういう出会いだった。 20歳か21歳くらいの頃、新宿で一緒にライブをやって 23歳か24歳のころ、これまた別の共通の先輩を通して、一緒にスタジオに入ったこともあった。 これくらいの年齢のときは、今より多少”上下関係”を意識していたし、いまよりうんとトガっていた。 Sちゃんも、今より少し近寄りがたい雰囲気があって

H ZETT M ピアノ独奏会(2020年9月5日@逗子)

「地元の友達が、チケットを1枚余らせているから、一緒に行かないか」と誘ってもらった。 この、青鼻の人のことは、よく知っている。 10年以上前、LINEをくれたこの友人と、一緒にカバーをして、演奏をした。 去年の7月に、町田でも公演をやっていたのも知っていたけれど ばたばたしていて、見に行こうとは思えなかった。 誘ってもらった日程は、もちろん空いている。 公演場所は、逗子。 家からの遠さにちょっとひるんだけど、誘ってもらってことも嬉しかったし、久し振りにちょっと遠くに行

山作戰の歌を、聞いて欲しい

まず、これを聞いて欲しい そして、この”山作戰”という、純然たるおじさんが何者か どうしてこれを聞いて欲しいと思うのか 今日は、わたしの親愛なるおじさんの話をする。 山作戰、というミュージシャンがいる。 わたしは、10年近く前に東京で出会った。 当時、動画配信の流行を走っていたUstreamで、有名なおじさんがいると聞いた。 わたしの働いていたライブハウスでも、Ustreamの配信に力を入れていたので、山作戰との出会いは必然だった。 出会って数年経った頃、静岡に移転す

青いグラス

友人の山岡くん(sotto 山さん)が、 一緒に作詞した曲「青いグラス」をYouTubeに公開しました。 歌詞は、YouTubeに載っているので、見ていただけたら嬉しいです! 山岡くんとわたし山岡くん、なんて呼んでいるけれど 学年はひとつ、年齢はふたつ上の先輩です。 大学時代の軽音部の先輩で、 当時、いつも家のポストに鍵が放り込まれていて、 ダイヤル式なのに、みんなその番号を知っていて、 誰かが勝手に部屋にいる。 それが、山岡くんの部屋でした。 なぜかわたしたちの代は、ひ

ふたりとさんにん

「3人で行くのはちょっと…」と言われたことがある。 Aくんと遊びに行こうと話したときに、 仲の良いBくんも誘おうよと言われたときのことだった。 べつに、AくんとBくんは不仲ではない。 3人、というのが苦手だと言われた。 ふーん、とその話を聞き流したことを覚えているが、「そういうのがあるらしいよ」と母は言った。 3人は苦手だけど4人はいい、とか 4人以上になると苦手だ、とか。 人によって、そういう感覚があることもあるらしい、と。 言われてみればわたしも、4人以上のグループL

もう意味はない

ライブのときは、止まった時計をしている。 もう、あまり意味はない。 好きな人にもらった。 とても好きなうたをうたう人だ。 企画ライブなのに、ギタリストが当日の朝インフルエンザになって、 わたしはうろたえていた。 2ステージのライブ、自主企画 わたしは、まいっていた。 その男はいつもと変わらずまぶしかった。 わたしのステージの前にうたってくれた。 わたしは、自分が苦しくなるであろう企画ライブの出順前に彼らを置いた。 逃げ出さないように、戦えるように それを貸してください、

ともだちのはなし

DJの友達がいた。 彼のことを、時折思い出す ライブハウスに勤めているとき、出会う人の大半はバンドマンだったが、一部違う人がいた。 同じ場所を使っているのに不思議だなあ、と思うが ダンサーやボーカルスクールの発表会、ニコ動で活躍してる歌い手さんのオフ会、 しばらくして慣れたけど、使う言葉や当たり前が結構違って、異文化交流だなあと思っていた。 DJというのも異文化の中のひとつで、 生まれて初めてのDJの友達は、ライブハウス勤めを卒業したあとに出会った。 同じ職場で同い年、

ただいま、いってきます

もうすぐわたしは、ワイルドサイドトーキョー10周年を ステージに立つ者として、お祝いに行く。 実際のライブは、フロアだけど笑 10周年ほんとうにおめでとう、ありがとう。 4周年に大きな企画を打たせてもらったので、 6年以上の付き合いになる。 ひとつずつ思い出せば泣いてしまう気すらするくらい、 濃密な時間を過ごした場所だね。 昼寝もした、 煙草をたくさん吸った、 コーヒーもたくさん飲んだ、 用もないのに立ち寄ってふらふらすることも少なくなかった 友達が死んだときも 恋

向きとか不向きとか

「あのときは、声の出し方間違ってたんだねえ」 そう言われる前の夜、わたしは考えていた。 はじめての20分のライブを迎える、その前日 3曲だとまとめられなくて、4曲にしたけどMCが難しい。 わたしはスタジオで、ストップウォッチを睨んでいた。 そもそも、4曲と決めるまでもすごく時間がかかってしまい、予約した2時間を迎えようとした。 煙草を吸って、もう1時間うたうことにした。 ストップウォッチを見つめながら、わたしは「懐かしい」と思った。 そうだ、30分のライブをひとりで最初