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君に伝えたい百の言葉

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あなたに伝えたい言葉が残っている。見失っても、百個積んだ先に何かがあるかもしれない。光を追う者のエッセイ集
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2021年5月の記事一覧

弟と、絶対の約束

弟と話すとき、わたしは時々慎重になる。 おとうと、と特定の友人をそう呼んでいるけれど、「弟のような人」であって実際の弟ではない。 もう10年以上の付き合いで、当時年下の友人や先輩に囲まれていたわたしにとって、ほとんど唯一の年下だった。 弟という言葉に、わたしは「家族」という意味を込めている。 一緒に暮らしているわけではないし、血の繋がりもないけれど、 何か特別な繋がりの濃さ、を感じている。 もし、この人が同い年か、年上でも「弟」と呼んでしまったかもしれない。 なんとなく

いつか、遠くへ行ってしまっても

昨日眠ってしまったのは、まくらのせいだ。と思っている。 実際のところは怠惰なわたしのせい、というのはわかっているんだけれど まくらの吸引力というか、新しいこのまくらは、もふもふしている。 使い古して、べたんとなったアイツとは、ぜんぜん違う。 包まれている、と思う。 それは、許されることに似ている気がした。 買ってよかった、と思う。 長年の付き合いのまくらを手放して、IKEAで500円のまくらを買ったのは、数日前の出来事だった。 ずいぶんと悩んだ。 いや、悩んでいた。

境界線

上辺を繕っている そんな錯覚に、落ちてゆく。 最近の、自分の言葉を見返して、ふいにそう感じてしまった。 フェイクこそあっても、嘘を書くことはない。 でもなんだか、安っぽい気がする。 実際に安くなってしまったのかもしれない。 それはわたしの、気丈さやが招いた結果のような気がしている。 何があっても、それなりに自分を保ってゆける。 家の外ではきちんと笑っていられるし、毎日言葉を紡いでいる。 不穏な空気が漂えば、落下する前にベッドに潜り込む。 「しなやかさを手に入れたね」と、

花のある部屋

「これは、君の分だよ」 もはや「ただいま」と言って、その部屋を訪れたときだった。 「今日はコーヒーじゃなくて、フラペチーノにしちゃった」 新作のやつが売ってたの、とスターバックスの紙袋を、ダイニングの上に置きながら、わたしは言った。 ダイニングの上には花が飾られていて、「きれいでいいわね」と思いながら見つめていたら、「君の分だ」と言われた。 驚いて「どうしたの?」と尋ねたら、けろりと返された。 「来るって言うから、ついでに買っておいたの」 ずぼらのわたしのために、「長持

幸福の水曜日

子供の頃、水曜日が好きだった。 水曜日のために生きていた、と言っても過言ではない。 小学生の頃、部屋に放置されていた少年サンデーを盗み見していた。 あの頃はなんとなく「自分は読んではいけないもの」だと思っていた。 実際、”犬夜叉”に出てくる妖怪は、ちょっと怖かった。 小学校高学年とか、中学生になると、堂々と読むようになった。 なぜだか、そうなっていた。 毎週水曜日は、サンデーとマガジンの発売日。 わたしは、これを楽しみに生きていた。 毎週毎週、飽きもせず、凝りもせず、