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クッキーはいかが?

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1200文字以下のエッセイ集。クッキーをつまむような気軽さで、かじっているうちに終わってしまう、短めの物語たち
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#習慣

とりあえず、ついでに。完璧じゃなくても

とりあえず、起き上がることにした。 だるいけど、眠くもなかった。 なにもしたくないと思ったけどそれだけで 片付けたいことから逃げることにも飽きたから とりあえず でもやっぱり 何をするにも面倒だから、消去法でシャワーを浴びることにした。 頭を使わなくていい、というのがよかった。 あと、これが最後に残ると面倒。というのもある シャワーが先に片付いていると、なにより気がらくなの。 なんでだろう。 だからついでに、ネイルを落とすことにした。 そろそろ落としたい頃だけれど 落とし

深夜2時の宇宙船

昼寝が好きだ、と思う。 昼じゃなくても 電気を消さないような、ああ少し眠っちゃおうかな、という怠惰なやつ。 目覚めはいつも悪くて、のそりと起き上がる。 すっかり遅い時間になっちゃった。 深夜を、わたしは愛している。 * やることをなにもやっていないなあ、と思うことに絶望することもある。 うまいこと絶望がどこかに旅立って、何もしない日もある。 お風呂だけ、エッセイだけ、洗い物だけ、ピアノだけ ほんとうにひとつだけ片付ける日もあれば、 ひとつに手を付けると、次に進めるときも

美しい誘惑

ああ、このまま眠るのはよくない。 気づいてはいる。 けれども、どうしようもない夜もある。 動かない、と思う。 眠り、というよりも、気絶に似ている。 やろうと思っていたことの、ひとつも終わっていない。 お皿も洗っていなければ、掃除もしていない。 できれば洗濯もしたいなんていうのは、夢の先みたいな野望となってしまった。 買ってきた日用品も、かばんもそのまま。 ああ、よくないなあ、と思う。 状況に対して、いいか悪いか、で言ったら、きっとそうなのだと思う。 でも、動けない。 動か

錯覚ノック

「よくなるかもしれないから」という、その声だけ覚えている。 そして、トントン、と二の腕を二度、叩かれた。 良い先生でよかった、と思う。 週に一度病院に通って、たいそう痛い治療で、 「痛いって言ってすみません」 「それで耐えてるんで」 と強がって、最後には必ず泣く。 この人だって、わたしを泣かせたいわけじゃないのに申し訳ないなあ、と思う。 最近は、言わなくてもティッシュを差し出してくれるようになった。 そしてついに、肩を叩かれた。 * 肩を叩かれるとほっとする、ということ

明日へのギフト

「今日は家事、サボります」 頭を下げている絵文字と一緒に、メッセージを送る。 きっと相手は、何をサボっているかですら気づかないことに、わたしは気づいている。 部屋の掃除をしなくたって、花の水を替えなくたって、目に見えるものじゃない。 シンクに置きっぱなしのお皿を見て、「これのことね」と思うかもしれない。 わたしは、わたしを許すためにメッセージを送っている。 「むりをしなくていいよ」と言われているし、休んだってべつになんてことはない。 ただ、わたしのため。 「よし、お風呂入

エコバッグを畳むことでもいい

朝起きて、折り畳み傘をたたむ。 今年は、そういう日が多い気がする。 雨に濡れた折り畳み傘は、晴れているあいだに日傘になって乾いてゆくのを繰り返していたような気がするのに、最近は濡れてばっかりだ。 だから、家の中できちんと干す。 床が濡れるのは気にしない。 あとで拭けばいいだけだって、もう気づいている。 ふと、数日前のメモのことを思い出す。 前に進むって、エコバッグを畳むことでもいい ずいぶん、まぬけで前向きな言葉だな、と思う。 まぬけさと前向きさって、似ているのかもし

わたしをだまして

「よし、お風呂に入ろう」とわたしは言う。 家族にそう告げることもあるし、ひとりのときもある。 聞いてくれる相手の有無は、問わないのだ。 「お風呂に入る」と吐き出された声が、空気中をぐるりとめぐり、わたしの耳元に返る。 そのたった一秒と少しのあいだで、わたしの心は騙される。 さっきまで、「面倒だけとお風呂に入らなきゃ」やだなあという気持ちだったのに 「よし、お風呂に入ろう。なんかお風呂に入らなきゃいけない気がする」と、少しだけ前向きになる。 不思議だ。 どうしてわたしってば

カバンの中で、眠ってる

カバンの中に、100円落ちている。 そのことには、ずいぶん前から気づいていた。 ずっと、そういう生き方をしていたのだと思う。 いまでこそ現金を使う機会は減ったけれど、 代引のおつりだとか、まとめて払ってあとでもらった小銭だとか、 そういうのは財布に戻らず、デスクの上に置かれるような暮らしをしていた。 カバンの100円も、きっとそういうものなのだろう。 「おつり渡すね」って言われて、カバンのポケットに入れたはずが、イヤフォンとかライターを取り出すついでに、奥底に落ちたに違

毎朝のこと

神社がある、ということにはすぐに気がついた。 2021年1月、新しい会社に勤め始めたとき。 いまでも毎朝、神社の前を通っている。 わたしにとっては馴染みの風景だけど、ある朝にお参りをしている人を見掛けた。 ああ、そういえばここは神社だから、なんて わかっていたけれど、当たり前のことを思ったの。今でも覚えている。 毎朝お参りをする余裕はわたしにはないけれど 通り過ぎる瞬間に、心の中で声を掛けるようにした。 別に、立ち止まったりはしない。 ただ、「今日もよろしくお願いします

いつかわたしは、夜へと帰る。

夜もいい、と思う。 やっぱり夜がいい、と思う。 最近、朝にエッセイを書いたり、日課をこなしたりする日々を過ごしていた。 日課を朝にすれば、夜には何も考えなくていいし、そのまま眠れるのがいい。 朝、仕事に行く前の限られた時間、“妙に”研ぎ澄まされた空気。 それは、朝だけの特別な時間だった。 朝にしか動かない器官がわたしの中には備わっているようで、「朝はいいな」と思っていた。 同時に、夜が恋しくなった。 朝がいい、ということは「夜はよくない」ということではない。 朝もよく、夜

未来へのプレゼント

「わたしの肌って、乾燥してるのかも…」 そう気づいた夜から、毎日パックをするようにした。 最近は花粉のせいか、マスクのせいか、外出が増えたからなのかよくわからないけど、目の周りが信じられないくらいガサガサする。 朝起きるとまぶたが腫れていることもあって、最悪な気分。 そうだ、パックがあるじゃないか。 お気に入りのパックの中に、どんと構えている、君がいるじゃないか。 「日常用」のパック。 特別なときじゃなくて、毎日ガンガン使えるパックを、用意していたんだった。 パックをし

毎朝のわたし

朝は、眠い。 わたしはだいたい眠いし、眠るのが好きだし 朝はみんな眠いものでしょう?って、思うわたしもいるけれど。 かつて泊めた女友達が、起床3秒後から「今日見た夢がね!」ってふとんをたたみながら、いつものテンションで語り始めたことがあったので、どうやら朝が苦手じゃない人種もいるらしい。 と、そのときに知った。 それは、信じられない光景だった。 あれから何年経っても、わたしは朝が苦手だし、起床後30分以上経たないと、夢の話はできないと思う。 それでも朝には起きる。 もぞも

お気に入りの箱には、ときめきを詰めて

箱を捨てられない、と思う。 箱だけじゃなくて、プレゼントのリボンとか、スターバックスの紙袋とか。 手にした瞬間のときめきを、一緒に残したくなってしまう。 最近はようやく、選べるようになった。 残しておいても最後は捨てるだけ、とわかっている。 そしてときめきは、残念ながら明日にはもう消滅している。 だから、できる限りその場で捨てるようにしている。 どうしてもむり、と心が叫ぶものを除いて。 リボンのいくつかは、ぬいぐるみの首に巻かれる。 そして箱のいくつかには、何かを詰めて

そんな日もあるよね。

あらあら、またこんな時間になっちゃった。 わたしの日課、と呼んでいること。 エッセイ、ピアノの即興日記、stand.fmのおしゃべりは毎日やることで その「毎日」の区切りを、「自分が朝起きてから眠るまで」としていた。 すごく眠たい日がある。 夜に日課をこなそう、と思っても、うまくできない。 わたしは、眠りたい。 毎日の発信を続けた結果、継続に必要なのは「時間・やる気・体力」の3つだと気づいた。 わたしの場合、発信する内容を考えることは「やる気」に含まれる。やる気さえあれ