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クッキーはいかが?

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1200文字以下のエッセイ集。クッキーをつまむような気軽さで、かじっているうちに終わってしまう、短めの物語たち
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#思い出

明日でもよいこと

 コーヒーを飲むつもりで家を出たのに  帰りに中華料理を食べて、時刻は20時。  ベランダに干しっぱなしのラグに、思いを馳せる。  おなかは、いっぱい。  むかし、母親に褒められたことを思い出す。  実家にいるときのわたしは、家事のひとつもできなくて  たまねぎの剥き方も、洗濯機の回し方もわからない子どもだった。  母親は在宅仕事で、いつも家にいたから、何かに困ることもない、ほんとうに甘ったれた子どもだったと思う。  そんな母親が泊まりがけで出掛けたときに頼まれたことはた

#眠れない夜に

 眠れない夜がある。  それは、昼寝のしすぎかもしれないし、はしゃぎすぎて眠る体力も失ってしまったからかもしれないし、嫌なことばかり考えて眠りから遠ざかっているのもあるかもしれなくて  わたしはわたしのことを、よく知らない。  眠りたい気持ちの反対側に、身体はしずしずと流れてゆく。  眠ることを、時折諦める。 「目をつむっているだけでも、体力は回復するからね」  むかし、好きなひとがそう言っていた。  もう会えないから、嫌いにもなれないひと。  オレンジの灯りの部屋で

マネケンのワッフル

静岡駅のASTYを散策していたら、マネケンのワッフルを見つけた。 懐かしさに、ついつい吸い寄せられてしまう。 あれは、何年前のことだろうか。 前の、その前の会社に勤めていたころなので、気づけば7年ほど経っただろうか。 職場が移転して、新宿駅から大江戸線に乗り換えて蔵前へ だからあのころは、新宿といえば大江戸線のある西口で、「会社の帰りに寄りやすいように」と決めた美容院も、西口にある。 西口の、モザイク通りを通り抜けるのが好きだった。 わけもなく歩いて、ときどきアナスイ

まつながちゃんの癖

「まつながちゃんって、癖あるよね?」 あのころは、「まつながちゃん」と呼ばれていた。 たくさん、導いていただいた。 わたしはずっと生意気で 伸ばされた手に、うんと甘えていたし、自然体であろうとした。 そしてそれは、背伸びをすることでもあったような気がするし、いまとあまり変わらない気がする。 あのころのわたしを思い出すと、いまでも勇敢な気持ちになる。 いまのわたしが弱くなったわけでもないし、あのころに戻りたいわけでもないけれど。 「癖があるよね」と言われたのは、そのころだ

東京の雨

はじめての雨で、驚いている。 この傘を、買ってから。 もちろん雨は降っていた。 引越しの日も降っていた。 でも、かばんの中の、入れっぱなしの傘を引っ張り出したのは、はじめてだった。 1ヶ月と少し前 友達と、新宿で買った傘。 お気に入りの、ポケモンの折り畳み傘を壊してしまったのはさびしい出来事だったけれど あれは、傘屋だったたにぐちが褒めてくれた傘だった。 日傘の効果は、年々薄らいでゆくのは本当だと頷いたあとに 「でも、効果がなくなるわけじゃないから。お気に入りの傘を

夜、記憶の中の君

眠れない夜、というのは必ず訪れます。 具合の良し悪しも 心のすこやかさも 関係あるときもあれば、無関係な瞬間にも 不安なときにも、楽しみに溢れるときにも おとなにもこどもにも 等しくなくても必ず、訪れるものです。 眠らなくては、と思うことを なぜだか最近やめました。 ほんとうに、なぜだか不思議に思うのです。 わたしが思い出しているのは、 もう、十余年も前の出来事なのですから。 * そのときわたしは、彼とふたりきりだったのか、 さんにんだったか、覚えていません。 たぶ

君とドーナツ

ドーナツにかぶりつきながら、思い出す。 わたしは、ドーナツが好きだった。 * 最初の記憶は、ミスタードーナツだ。高校生のとき。 高校生になって、ひとりで動き回れる場所や、学校帰りに寄れる場所が増えたんだと思う、 ひとりで勉強するときはドトールで、 友達とおしゃべりするときは、ミスタードーナツだった。 コーヒーはおかわりできたし、当時は1個100円くらいでドーナツが買えたし、「ミスドいこ」ってなるのは、当然だったと思う。 女子高生というのは、いつもおなか空いている。 大学

前髪を少し

「前髪だけでも切ろうかなあ」と言って、そのひとは鏡を覗き込んでいた。 「自分できるのは危ないよ」というせりふがよぎって、飲み込んだ。 たぶん、自分で好きにするのがいいと思った。 わたし自身はといえば、昔の言いつけを律儀に守りながらおとなになった。 むかし、と言っても、あのときわたしは二十代の中頃で、いまよりは幼かったけど充分におとなだった。 あの頃なぜだか、お世話になっていたお兄さんに「前髪だけは自分で切らないほうが良い」と言われていた。 「そういうもんかなあ」と思って、

君とパピコ

ねえ、 「あなたとはどんな仲だったの?」って、誰かに訊かれることがあったなら あなたとの思い出はたくさん、たくさんあるけれど よくお菓子を食べていたね。 あなたは見た目が強そうなのに、存外やさしいひとで、いつも「食べな」って言ってくれた。 お互い口が悪くて、 でも、悪口を言っていたのはいつもわたしのほうだった。 陰口じゃないっていうのが、心地よかった。 それは、小学生のいたずらみたいな悪口だったね。 ふたりで、みんなで、よく笑っていた。 頭の回転速度が似ていたのか、 思

ポストの中身

思い返せば、最初から”手紙”が好きな子供だった。 きっかけを思い出せないから、「最初から」なんだと思う。 小学生の頃は、毎日会っている友達に年賀状を書くことに浮かれていた。 初めて文通をしたのは、中学生のころだったと思う。 母が買っていた「月刊ピアノ」という雑誌の文通コーナーを見ては、手紙を送っていた。 あの頃は、名前と住所が雑誌にそのまま掲載されていて、何度か手紙を送った気がする。 同じ時期には、ポストペットのモモとか、コモモにメールを運ばせていたし、 高校生になってイン

ぜんぜん前に進めなくて、自転とも反対向きなの

「仕事」と思うと、毎朝起きれるのは本当に不思議だと思う。 仕事、あるいは約束があれば、わたしは大概きちんと起きる。 元気よく目覚めることは、できない。 朝はいつもぼおっとする。 ぼおっとする時間をたくさん確保できるほどの早起きもできないので、ラジオ体操で無理やり目を覚ます。 健康のため、ダイエットのため。 なんていうのは結局二の次で、朝手っ取り早く目覚めたいだけだった。 少しはマシになった身体を引きずって、身支度を整えながらスープを温める。 これは、おひるごはん。 あさご

あの日のお迎え

あ、と思う。 前を歩く人を、見送る。 帰り道、駅の近くで車に乗り込む人がいる。 お迎えが、来ている人。 * 18歳まで、とんでもない田舎に暮らしていた。 いま住んでいるところも、すごい都会というわけじゃないけれど、駅までは歩けるし、電車でどこへでも行けるようになった。 地元にいるとき、家の前のバス停にバスがやってくるのは、1時間に1本か2本くらいだったと記憶している。 静岡駅から最寄りのバス停までの最終バスは、18時台だった。 その手前、本数が多いバス停というのは家か

思い出の灯火

生きてゆくということは、死ねない理由が増えることだ。 この、ダーク過ぎる前向きな言葉は、10代の終わりか、二十歳くらいのときに、わたしの中から剥がれ落ちた。 いま思えば、死ぬ、というよりも 「投げやりになれない」という言葉のほうが、適切だったかもしれない。 もういいや、 ぜんぶやめちゃおう 当たり前の呼吸すら見失い、立ち尽くす。 そんな夜が、幾度となく訪れていた。 それは、絶望的な出来事を引っ提げてというよりも、 なんだか急に、酸素が薄くなって、立っていられなくなる

家賃3万円の部屋から

それは、とろりとした闇だった。 夜眠るとき、部屋を真っ暗にしなくなったのはいつ頃だろうか。 思い返せるのは、家賃3万円の家に住んでいた頃かもしれない。 駅から徒歩5分と少し、大学の近く。 オール電化と言えば聞こえがいいけれど、実際は「電気給湯器」と呼ばれる古めかしいシステムでお湯を沸かし、ガスコンロがない。 エアコンは窓枠にはめ込むタイプで、冷風しか出ない。 あの部屋の電気は、壁のスイッチでオンオフできるだけで、電気を消すと部屋は真っ暗になった。 6年近く住んでいたあの部