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クッキーはいかが?

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1200文字以下のエッセイ集。クッキーをつまむような気軽さで、かじっているうちに終わってしまう、短めの物語たち
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2021年2月の記事一覧

思い出の灯火

生きてゆくということは、死ねない理由が増えることだ。 この、ダーク過ぎる前向きな言葉は、10代の終わりか、二十歳くらいのときに、わたしの中から剥がれ落ちた。 いま思えば、死ぬ、というよりも 「投げやりになれない」という言葉のほうが、適切だったかもしれない。 もういいや、 ぜんぶやめちゃおう 当たり前の呼吸すら見失い、立ち尽くす。 そんな夜が、幾度となく訪れていた。 それは、絶望的な出来事を引っ提げてというよりも、 なんだか急に、酸素が薄くなって、立っていられなくなる

だからまた、おしゃべりしようよ。

久し振りの友達から、連絡があった。 最初は、「ピロリ菌の疑いがあって、君を思い出した」という話題だった。 ピロリ菌。 わたしのおなかの中で、飼っていたやつ。 薬を飲んだけど、撲滅したかは確かめていない。 基本的に健康体のわたしが、インフルエンザ以外で唯一仕事を休んだから、印象深かったのかもしれない。 ピロリ菌撲滅のための、投薬による副作用。 あれは、絶望的な苦しみだった。 近況から、他愛のない話になり、なぜだか「またピアスを開けた」と言われた。 10歳ほど年上で、赤い髪

未来へのプレゼント

「わたしの肌って、乾燥してるのかも…」 そう気づいた夜から、毎日パックをするようにした。 最近は花粉のせいか、マスクのせいか、外出が増えたからなのかよくわからないけど、目の周りが信じられないくらいガサガサする。 朝起きるとまぶたが腫れていることもあって、最悪な気分。 そうだ、パックがあるじゃないか。 お気に入りのパックの中に、どんと構えている、君がいるじゃないか。 「日常用」のパック。 特別なときじゃなくて、毎日ガンガン使えるパックを、用意していたんだった。 パックをし

これからの旅を、あたたかく祝して

「なんか欲しいもの、ある?」 どうせないだろうな、と思っていたら「コートを買いたい」と言われてびっくりした。 映画を見に来たけれど、30分ほど時間が余ってしまった。 そんなときの出来事だった。 この男は、本当に物欲がないので、そんなことを言うと思っていなかったので、なんだか嬉しかった。 「どうしたの?」と尋ねたら、「着ていたコートがボロボロになったから」と言われて、なるほど納得した。 使い古しの美しさも存在するけれど、買い直すのも、とっても良いと思えた。 いいなあ、買い物

これだから、人生は愉快だと思う。

小さな猫が、駆け抜けて行った。 小さな猫だと気づいて、確信したとき。わたしは驚いた。 そうか、わたしは猫の大きさがわかるようになったのか。 ※ 実家では犬を飼っていた。 周りもみんな犬ばかりで、猫を買っている先輩とはあんまり親しくなかったので、猫のことはほとんど知らずに育った。 近所の猫も、一匹を除いて懐いてはくれなかった。 懐いてくれた彼(ライオンの王様、ムファサと名付けた。メスだったかもしれない)は、もう友人みたいなもので、猫という次元を越えていた。一緒に散歩をして

ご自愛ください。

「うぎゃっ」 わたしは小さく、確かな悲鳴を上げた。 膝の裏の、太ももの境目あたりに、ほんのわずかな違和感を感じていた。 数日経ってもおさまらなかったので、覗き込んで確認してみた。 そして、悲鳴。 アザだった。 お世辞にも「小さな」と言えないくらい、立派なアザだった。 親指くらいだと思う。 指の先っぽじゃなくて、親指1本分。 ぜんぜん気づかなかった。 いままで、「親指の先くらい」の小さなアザは、いくつも作ってきた。 そんなことは、たくさんあった。 でもこれは、タダゴトでは

毎朝のわたし

朝は、眠い。 わたしはだいたい眠いし、眠るのが好きだし 朝はみんな眠いものでしょう?って、思うわたしもいるけれど。 かつて泊めた女友達が、起床3秒後から「今日見た夢がね!」ってふとんをたたみながら、いつものテンションで語り始めたことがあったので、どうやら朝が苦手じゃない人種もいるらしい。 と、そのときに知った。 それは、信じられない光景だった。 あれから何年経っても、わたしは朝が苦手だし、起床後30分以上経たないと、夢の話はできないと思う。 それでも朝には起きる。 もぞも

お気に入りの箱には、ときめきを詰めて

箱を捨てられない、と思う。 箱だけじゃなくて、プレゼントのリボンとか、スターバックスの紙袋とか。 手にした瞬間のときめきを、一緒に残したくなってしまう。 最近はようやく、選べるようになった。 残しておいても最後は捨てるだけ、とわかっている。 そしてときめきは、残念ながら明日にはもう消滅している。 だから、できる限りその場で捨てるようにしている。 どうしてもむり、と心が叫ぶものを除いて。 リボンのいくつかは、ぬいぐるみの首に巻かれる。 そして箱のいくつかには、何かを詰めて

わたしはいま、失っても泣かない

あ、と気づいたときには、「もうダメだ」と理解していた。 左耳のピアスがない。 出掛けるとき以外はいつもつけていた、セカンドピアス。 これがないと、左の穴はすぐに小さくしぼんでしまう。 耳につけようとして、落としてしまうことは何度もあった。 でも、「翌日に気がついたらなくなっていた」というのは、これが初めてだった。 右耳は、残っている。 落としたのか、落ちたのかもわからない。 同居人に「落としたの?」と尋ねられたけど、落としたことに気づいているなら拾っている。 なくなっ

そんな日もあるよね。

あらあら、またこんな時間になっちゃった。 わたしの日課、と呼んでいること。 エッセイ、ピアノの即興日記、stand.fmのおしゃべりは毎日やることで その「毎日」の区切りを、「自分が朝起きてから眠るまで」としていた。 すごく眠たい日がある。 夜に日課をこなそう、と思っても、うまくできない。 わたしは、眠りたい。 毎日の発信を続けた結果、継続に必要なのは「時間・やる気・体力」の3つだと気づいた。 わたしの場合、発信する内容を考えることは「やる気」に含まれる。やる気さえあれ

あとは頼むよ、明日のわたし

ばかげている、と思う。 ほんとうは、なんて前置きしなくても気づいている。 今日は書くことがないなあ、とつぶやく。 エッセイを書き続けた9ヶ月間のあいだ、わたしは何度そう言っただろうか。 それでも、しがみつくように、這うように、ここまできた。 書くことがないときは、苦しいと思う。 それなのに どうして、苦しいだけじゃなくなっちゃったんだろう。 かつてわたしは、「書きたくない」と逃げ続けていた。 毎日更新すると決めながらも、一日中時計を睨んでいた。 書いていないのに、今日