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KOJIKI<綿津見神の宮①>

山幸彦はどこまでも、どこまでも、青く広がる水平線の彼方をみやりながら

「この広い海の何処かに僕が持っていた釣り針を奪い取った魚がいるのかなぁ・・・。
こんな広い海で、どうしてその一匹の魚を見つけることができるだろう・・・。

僕は、もう、どうしていいかわからない」
+゚(。pдq)+゚。エーン

と、1人途方に暮れていました。
ひとりぼっちになってしまった山幸彦。
このパターン。どっかでも見ましたね・・・。


そこに何処からともなく 訪れて来た老人がいました。
その翁はうち沈んでいる 山幸彦の火遠理命をみて声をかけました。

「のう、そこの若い人よ。あなたは何か悩みを持って言うようだ。どうかされたのかな?」
山幸彦は老翁(おじ)の優しげな物言いにほだされて
釣り針をなくした経緯を縷々ともの語りました。

それを聞いて翁はこう言いました。
「そうか。それは大変困っただろうのう。
だが 好策(よいさく)はある。わしはこの辺りで、塩稚神(しおつちのかみ)と呼ばれているものじゃ。
塩稚とは塩の道と言う意味なんだよ。知っているか?
わしは塩の道を読むことができる。渡っていくこともできる。

つまり、海の民の技をみにつけてきたものなんだ。
わしが、おまえがなくした釣り針を探す手立てを
これから教えてしんぜよう。
ここの竹があるので、隙間のない无間勝間(まなしかつま)の小舟を作りなさい。
そして、その船に乗って塩の道を伝い綿津見神の宮にいくのだ。

付いたら、綿津見神の宮で訊ねるがよい。
釣り針を飲んだ魚がいるかどうかそこで問いただすがよかろう」


塩稚の翁の話を聞いて、
山幸彦はパッと明るい微笑みを浮かべました。
+。:.゚ヽ(*´∀)ノ゚.:。+゚ァリガトゥ

火遠理命はなんども繰り返し、繰り返し、その老人にお礼を述べて无間勝間の船をつくり、その船に乗って
海の彼方にある綿津見神の宮まで旅して行きました。

さて、ひらがなで「わたつみ」と入力すると、漢字で海神と変換されます。海の神様の宮殿に行きなさい と翁は山幸彦に具申されたんですね。浦島太郎のモデルとなったのもうなづけます。
場所も日南海岸のあたりだと言われています。

 また、この綿津見神は海の神だけでなく、身禊で生まれた神であるからして「祓いの神力」も持つとされています。身禊?と思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。

 この連載の中で、イザナギノミコトが黄泉の国から逃げ帰ってきた時の事をもう一度振り返ってみましょう。

”イザナギノミコトは黄泉の国での出来事を、黄泉の国で穢れたものを見たとして筑紫の日向(ひむかい)橘の
小戸の阿波技原という川に立ち至って
禊ぎ払いを行いました。

こちらの写真があの世とこの世の境界、黄泉比良坂(よもつひらさか)f rom島根県の観光HP

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イザナギノミコトは杖を捨て、きている衣を脱ぎ捨てました。
その杖と衣服から 次々と神様が産まれました。
そして川の中の中瀬に体を清めました。
水の中に潜って身を清めたときに
渦津日神(まがつひのかみ)や直毘神(なおびのかみ)
伊豆能売神んど沢山の神様が産まれました。
水の底で身をすすぐと、底津綿津見神(そこつわたつのかみ)
水の中で身をすすぐと中津綿津見神(なかつわたつのかみ)
水の上で身をすすぐと上津綿津身神(うわつわたつのかみ)
が産まれました。”

 この底津綿津見神(そこつわたつのかみ)、中津綿津見神(なかつわたつのかみ)上津綿津身神(うわつわたつのかみ)の三神が綿津見神三神となります。住吉大社の神様ですね。

 イザナギノミコトも禊ぎから天照大御神、月読命、須佐之男命が生まれ、木花の佐久夜毘売も三神の神子を産んでいます。
宗像大社も三神の比売神子ですね。

お話を戻しますね。

この浦島太郎伝説は、全国28道府県に存在し、中には海のない、長野県や岐阜県にもあり、竜宮祭等の神事もあります。
また、日本に伝わる民話の中で、浦島太郎と良く似た話しは世界にも広くありミクロネシアの諸島やアイルランドにもあるそうです。
ですが、古事記に由来の伝説の場所と考えられる宮崎で進めます。

ちなみに古代史研究の方々は、
竜宮城は「琉球」説を唱えている方も多いようですね。

今回は全国にたくさんある浦島伝説の中から香川県の「海と日本プロジェクト」の動画を見て見てください。

https://www.youtube.com/watch?v=6Oy9FAGRWqc&fbclid=IwAR2rYOWQfv3ylgteLV7HkzouQvvH-4l0Ac7L-w9d9UzzbbL6EN4N7b1L7Pc










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