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「教師」として、教えるべきこと。

僕には、3人の子どもがいる。一番上の子が小学校2年生だ。

初めての小学校、僕は別に主役ではないけれど、我が子と同じくらいわくわくしていた。入学式で撮影する全体写真。いつもの並ばせる側から、並ぶ側になった。大声を出して必死に指示を出している知り合いにあって、「あれっ?」「どうも。」なんてやり取りも楽しかった。

娘の初担任は、算数が専門の先生だ。算数が苦手な僕としては、参観日は大変興味深かった。僕のだめだめ算数は、教科書の問題を唐突に「さあ、解こうか。」なんてやってしまうのだが、その先生は、本当に子どもの問題意識を大切にしていた。最初から教科書の問題を解くなんてことはもちろんしない。教科書で取り上げている教えるべき内容をアレンジして、子どもの生活の中から問題意識を引き出していた。世間話の中から、子どもがどんどん授業の中へ入っていく。いろんな考え方が出されてみんなが話し合っている。どうやら、娘から話を聞くと、話し合うことにとてもこだわりがある方らしい。すぐに教師が結論の方向へ引っ張ってしまうのではなく、子どもが納得するまで、とことん話し合わせるスタイルだった。おかげで、自分の気持ちを表現する言葉が多様になった。そして、難しくても最後まで説明を諦めない気持ちを育てていただいた。

そして、2年生。専門が図工の先生だった。とことん話し合わせるスタイルから一変。とことん体験させるスタイルに変化した。とにかく毎日何かを表現している。「最近学校で楽しかったことは?」

「ん~っと、図工!」

「今日、学校でどんな授業するの?」

「図工!」

何度聞いても、いつ聞いても、「図工」だった。参観日も「図工」。教室に入って作品を眺めていると、娘が、

「ねえねえ、これ見て。私が作った絵の具!」

と言って、オリジナルの絵の具だのクレヨンだの、様々な道具を楽しそうに紹介してくれた。「ああ、本当に図工なんだな。」としみじみ感じた。

この2年間で、分かった事は、

「子どもは、どんな環境にも楽しさを見出して変化していく。」

ということである。自分が本気で「楽しいから教えたい。」と思っている学習は、子どもたちが価値を見出していく。「何を教えるべきか。」「どのように教えるべきか。」と考えて授業を計画することも大切だが、その大前提として、「自分が、その学習を本当に楽しんでいるのか。」といことが大切なのではないかと思う。

どの教科でもいい。子どもたちに教える前に、「本当に自分の計画した授業は、子どもたちにとって楽しいのか。」を意識したい。もちろん、身に付けさせるべき資質・能力を捉えた上でのことだが。教師の面白さは、「教え方が、それぞれの教師に任されていること」だと思う。学年で統一とか例年と同様とか、足並みを揃えるような風潮は、少しずつ変えていくべきだ。まずは、目の前の子どもに「学びの楽しさ」を伝えたい。そのために必要なことは、やはり「自分が本当に楽しく学んでいるか」なのだ。

来年度、娘の担任はどんな楽しさを教えてくれるだろう。そして、自分は、どんな楽しさを教えられるだろう。今から楽しみだ!


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