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#beat2 仕事が暇すぎて謎のPCテクを覚えました

これは草食系ブラック企業(職場)のリアルなドキュメンタリーだ。草食系ブラックは社員の能力・やる気・成長機会を根こそぎ奪い、廃人同然にしてしまう。まるでこの世の果てのような理外の空間には、様々な怪現象が現れる。
【登場人物】ひろし:部長、仕事をしない。たつお:課長、仕事をしない。のぞみ:中堅社員、以下同文。トシ:中堅社員、以下同文。

Interview with クレイジーバード

《ギター》のぞみ。「仕事があまりにも暇なので、ギターを溺愛するようになりました」
《ドラム》トシ。「仕事があまりにも暇なので、やたらリズム感が身につきました」
《ベース》たつお。「仕事があまりにも暇なので、兄が憑依するようになりました」
《パフォーマー》ひろし。「工数がぜんぜん足りねえよ」

◇ ◇ ◇
本社の敷地内ある社員食堂にて、同僚の、のぞみに猥褻画像を話したとき、「そんなの大丈夫だって。この会社のPCなんて安物なんだから、はっきり見えないって。エロ画像見るくらい平気でしょ」
彼は余裕の返事をした。
〈業推〉の異空間を離れ、社員であることを実感できる唯一の時間。

あと二人いる業推のメンバー――彼らの役職は部長と課長である――は、この本社の食堂を利用しないため、息抜きをするのにたいへん助かる。特に部長ひろしは、決してここに近づかないことが分かっている。他の部課長たちに見つからないように、見つからないようにと、あの異空間に隠れ棲んでいるのだ。ここはいわば、ひろしに対する結界のようなもの。

周りを見渡せば、活気がある。何百人もの人間のエネルギーが、ここにはある。それはトシたちのいる建屋では感じることのできないものだ。
ちらほらと若い世代の塊がある。女子社員のコミュニティがある。作業着の人、スーツの人、外部の人。本当に仕事をしている顔、そうでない顔。トシには分かる。ここ数年で、仕事をしている人間を見極める技術だけは養われた。遊びの感覚で探してみると――、

ひとりの中年男性に目が留まった。けど。
めずらしいな、この会社で若い社員の一団に混じってるなんて。「あれ、あの人って」
「どうしたの?」
トシは一瞬、黙る。のぞみの知らないだろう情報が、同時に二つ浮かんだからだ。その片方を口にする。「怪鳥の同期だって、噂で聞いたことがあるんだけど」
怪鳥とは、部長ひろしの渾名。
「それはないでしょ。ひとまわり違うって」
「四十代前半ってこと?」
「まあ、後半かもしれないけど。仕事してそうだな」
「うん、しっかりしてそうだな。管理も普通にできそうだし」
「日本語通じそうだな」
「足し算できそうだな」
そこで会話が途切れる。虚しい流れになるだけだからだ。よそはよそ、ウチはウチ。今は自分たちにふさわしい会話をすべきだ。つまり――仕事中のエロ画像。
「そうそう、たまたまヤバい画像が出ただけなんだって」
「またまた」
「いやいや」
「またまた」二人はこれをずっと繰り返す。
「なに、この意味のないループ」
「業推っぽくていいじゃん」

そりゃ、おまえの席はいいよ。トシは内心、そう思った。
のぞみの席は、キャビネットでつくられたパーティションに、背を向ける形で配置されている。トシの座席から見れば、それは、左斜めの角度。

さらに特筆すべきものとして、のぞむの席の近くには、支柱のしっかりとしたステンレス製のコートハンガーが置かれている。その配置に違和感はなく、景色に溶け込んで見える。この一見、本当の意図がわからない緻密な計算のなかに、彼の性格を見てとることができる。

自席の近くに大きく邪魔なものを置き、レイアウト上の譲歩しているようでいて、その大きな物体は、彼の防御に一役も二役も買っているのだ。
第一の目的は、パーティションの補強である。キャビネットの高さは不揃いで、彼の真うしろの二つは、やや高さが足りない。コートハンガーを絶妙な位置に置き、かつ角度を計算して上着をかけることで、もっとも危険な角度からPCの画面を守ることができる。

これで完全に背中を守れるわけではないが、トシのノーガードと比べれば、雲泥の差である。
効果はそれだけに留まらない。彼の脇に窮屈そうに置かれた、そのでかい物体は、障害物以外の何物でもなく、部長ひろしが、のぞむの後ろを横切ることまで防いでいる。なお、ひろしは、自席近くのひろし専用ロッカーを使うため、このコートハンガーを利用しに近づいてくることもない。
幾重にも意味があるのだ。彼の行動の裏には、練り込まれた戦略がある。

またのぞむは、インターネットサーフィンに関しても、トシとはひと味違った、芸の細かい技を見せてくれる。
目的のウインドウ――ここで言うそれは、業務とはまったく関係のない不適切なサイト――を、極力小さくして眺める。むろん、遠目に判別しにくくなるというメリットもあるが、こうしておくことにより、いざというときの仕掛けの一部として機能する。

他の下準備はこう。無難なウインドウを背面で最大化しておく。画面の端のほうにマウスのカーソルを合わせておく。常にマウスに手を乗せておく。
その状態で指を動かすとどうなるか?

ウィンドウが入れ替わる。最小限の動作で、仕事と関係のないサイトは一瞬で裏に隠れるというわけだ。のぞむは、トシのようにPCのコマンド操作に通じているわけではないが、手の込んだ確実な技を使う。

部長ひろしと課長のたつおに関して言えば、ガードは鉄壁だ。離席時と突然の来訪者に気をつけていればいい。何もせずとも、それぞれの席の後ろには、建築物としての壁がある。このレイアウトは彼らが決めてしまった。

この手の攻防に関してはキャリアが違う。言葉どおり、一般職と管理職の力の差があると言っていい。海千山千の猛者たちは、多くのテクニックを隠し持っていると推測される。

トシはたつおから、離席時には、Windowsボタンを押しながら、Lキーを押し、PCの画面にロックをかけるのだと聞いた。なるほど、なかなかスマートだ。それ以来、真似をさせてもらっている。

もっとも謎の多い人物ひろし。ひろしが席を立った後、のぞむが一度だけ、その画面がどうなっているのかを足早に確認したことがある。ロックはかかっていなかった。その代わり、すべてのアプリケーションが落ちていた。この人いちいち……。
だが、「らしい」。その能力の低さを疑う者は、今ここにいない。

【作者コメント】
く、くだらねえ。
と思ったけれど、けっこう役に立つテクニックが書いてある気がする!


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