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子供の頃は触れていたのに

 施設のプログラムに短文章というのがある。職員が読む500字程度の記事を、誤字や表記に間違いが無くなるまで提出するという物だ。
 その人の環境によってやり方はそれぞれ違うのだが、私の場合はIpod touchで録音を回しながら、ブレイルメモ(点字ディスプレイ)で書き取り、それを読みながら自分のパソコンのメモ帳に打ち込んで、そのデータをUsbに保存して、パソコン室でワードに張り付けて印刷して提出している。
 このプログラムに限らず、読まれている言葉を聞きながら文字を書くことにまだ慣れていないので、正直ついていくだけで精一杯である。

 この日の短文章では、島根県飯南町で、ポピーの花の見ごろに合わせてイベントが行われたという記事が取り上げられた。
 その記事の途中、「近くの川では、やまめの掴み取りも行われ、参加した子供たちは素早く逃げるやまめを素手で捕まえていました」という文章があった。
「うわー、絶対やりたくねえ」
 その文が読まれた時、そう呟きたくなるのをどうにか堪えた。
 素早く逃げるやまめを素手で捕まえるのである。創造しただけで、ブレイルメモのキーを叩く指先に力が入らなくなるのを感じた。

 そう、私は生きた魚を素手で触るのが苦手なのだ。ぬるぬるして気持ち悪いからだ。
 それでも子供の頃は生きた魚でも触ることができたのだ。

 あれは地元の盲学校に通っていた小学部1年生の頃、丁度今ぐらいの時期だっただろうか。「魚掴み取り大会」と少子て、プール開きの直前、足首ぐらいまで水を張ったプールにフナとコイを放して、皆でそれを捕まえるというイベントがあった。
 今となっては信じられない話だが、その頃の私は生きた魚に触ることにほとんど抵抗感が無かった。それどころか負けず嫌いな性格も手伝って、男子たちよりもいっぱい捕まえてやろうとやる気満々でプールに飛び込んでいたほどだった。
 それがなぜ今では生きた魚に触るのが苦手になってしまったのだろうか。

 そのようなことは魚に限った話ではない。虫だってそうだ。
 子どもの頃は樹に張り付いているセミやカナブン、さらには家の中に入ってきたトンボなんかも手で捕まえていた。しかし今では虫が飛んでくるだけでもパニックになるぐらい虫は大の苦手である。

 そういうことは全盲者に限った話ではないようだ。健常者でも、子どもの頃は虫やカエルに触れていたのに、大人になってから一切触れなくなったというような話はよく聞く。
 皆子供の頃は生き物に触れていたのに、なぜ大人になると全く触れなくなってしまうのだろうか。不思議である。

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