藤沢綾

自然が好きで創作好き。お婆ちゃん子。いつまでも童心を持つ。 これまでの人生を振り返りな…

藤沢綾

自然が好きで創作好き。お婆ちゃん子。いつまでも童心を持つ。 これまでの人生を振り返りながら、感謝の言葉とエピソードを綴ります。

最近の記事

100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー㉛語り継がれるクリスマスの切ない思い出

クリスマスになると、毎年思い出す話があります。我ながら良いお姉ちゃんでした。クリスマスにサンタがプレゼントを持ってこないことに早々と気づいてしまった私。まだ信じている妹達にプレゼントしたいと、近所のお店でキャラメルとボールペンを買います。妹達には気づかれないように「サンタさんが来るから靴下を枕元に置いておくんだよ」と伝えます。 妹達が眠りについた後に私は買ってきたキャラメルをこっそりと靴下に入れました。でもね、何だかそのキャラメルが食べたくなってしまったんです。 ついつい、

    • 100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー㉚お母さん代わりのお姉ちゃん

      小学生の思い出書きそびれていました。 仕事が忙しくて、何かイベントがあっていもどこにも連れて行って貰えないのがわかっている子供でした。 映画館も近くにはないのですが、時々市民会館で映画が上映されていました。行きたくても親は頼れません。小5の私は母に妹達を連れて行くからお小遣いを頂戴とお願いします。 しっかり者としての信頼があったので母は私に任せてくれました。1キロほど歩くとバス停があり、それに乗ると30分程で映画館近くのバス停まで行ってくれるのです。意気込んで妹達とバスに

      • 100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー㉙お茶摘みやウサギ狩りの思い出

        中学校の思い出を振り返ると、お茶摘みと耐寒訓練のウサギ狩りを思い出しました。山の上にあった中学校に行くには長い坂道を登らなければなりませんでした。坂道にはずっとお茶の木が植えてありました。お茶摘みの時期になると、全員でその新芽を積み、地域のお年寄りが寄ってお茶にしてくれていました。お茶の産地でもないのにそんな体験が出来たのってとても貴重でした。 耐寒訓練では朝4時頃に集合して、山にウサギ狩りに行っていました。みんな竹の棒を持参します。暗闇の中、みんなでお喋りしながら山へ向か

        • 100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー㉘英語が大好きになった先生との出会い

          小学生の時から牛舎でモクモク村のケンちゃんという教材を聞いてとても英語好きになっていました。中学で英語を学べることにワクワクしていました。英語の先生が面白くてギターで演奏してくれたり、英語クラブでは洋画をみせてくれました。映画館に行ったことがない私はその洋画の世界にワクワク。ダイハードや赤毛のアンなど大好きになりました。 国際交流に興味があったので雑誌に掲載されていたペンパル募集に申し込み、外国人と文通を始めました。定型文が書かれているので、それを真似して書いてやり取りをし

        100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー㉛語り継がれるクリスマスの切ない思い出

        • 100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー㉚お母さん代わりのお姉ちゃん

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          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー㉗完璧主義がもたらす苦悩の日々

          表面上は明るく楽しい私なんだけど、緊張すると声が詰まったり出なくなる悩みはずっと続いていました。これは今でも同じ。結局原因っていまだに解明されていないみたい。そんな心の悩みを話しても真剣には汲んで貰えずにいました。いつも不安で緊張しているような状態でした。 性格で完璧主義な所があって、気に食わないとイライラが凄くてキレたりすることもあって。間違えたら破いてしまうような、ヒステリー。家ではそんな所も見せる子供でした。だから妹達にはキツい性格のお姉ちゃんという感じで嫌われていた

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー㉗完璧主義がもたらす苦悩の日々

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー㉖人前でウケる楽しさを教えてくれる先生

          私の面白い所を引き出してくれたのが小学校5年生の時の先生でした。 私は家ではひょうきんな所を出していましたが、学校では真面目な◎◎さんで、苗字で呼ばれていました。堅いイメージだったと思います。 ある時にクラスでビデオ撮影をして校内放送することがありました。他の学年が面白いことをやったのか、先生は面白い映像を撮影しようと企画していました。その中でなぜか私にレポーター役をしなさいと言われたのです。 吃音で悩んでいる私はできないと言ったのですが、頑張れという感じでチャレンジさせ

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー㉖人前でウケる楽しさを教えてくれる先生

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー㉕厳しいながらも優しい先生

          話が前後しますが、小学1年生の担任の先生も私の才能を見つけてくれていました。この先生は小学3・4年生の時にも担任をして貰いました。結構厳しかったので気の小さな私はちょっと怖かったんです。 ある時自宅で缶蹴りをしてけがをしたんです。でも我が家は消毒液とかちゃんと揃えているような家庭ではなく、(ヨモギやアロエ付ける位)何もなくて、学校に行って保健室で消毒して貰っていいですか?と先生に尋ねると「そういうのは家で処置してきなさい」と言われたんです。それがショックで泣いてしまいました

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー㉕厳しいながらも優しい先生

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー㉔甘えられたおばあちゃんみたいな先生

          私が小学2年生の時の担任の先生は一生忘れられない先生です。この先生に私は作文の自信をつけて貰いました。そして有機農業が大切だということを他の生徒にも伝えてくれた先生でした。先生はとても私を可愛がってくださり、ちょっとえこひいきじゃないかな?と思うほどでした。家庭で母親に甘えられなかったので、先生と祖母に甘えるような感じでした。先生は定年近く、私たちが最後の教え子でした。 学校で水彩画を初めて描いて写生大会には牛舎で牛の絵を描いていました。私とすぐ下の妹は校内でいつも賞を貰う

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー㉔甘えられたおばあちゃんみたいな先生

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー㉓挨拶はまずおはようからを教わった校長先生

          昔から先生という存在が大好き。質問したら答えてくれるし、話を聞いてくれる存在。小学1年生の時の校長先生は女性で当時はまだ珍しい存在。 私が校長先生を好きになったのは児童たちと順番に校長室で会食があったことがきっかけでした。 先生は一人一人にメッセージを書いて下さっていました。「あいさつはまずおはようから」達筆な文字で書かれたその一筆箋が私の宝物になりました。近所の人にもより挨拶をするようになりました。会食で色々聞かれた時に自分なりに話ができたのか、校長先生と話をする機会が

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー㉓挨拶はまずおはようからを教わった校長先生

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー㉒お父さんは自然遊びを教える名人

          父のことは怒られる時は怖かったのですが、牛舎にお手伝いに行くといつも私たち姉妹に自然遊びを沢山教えてくれていました。 牛舎の裏には竹藪がありました。竹細工は作り放題です。竹トンボに竹馬、水鉄砲、パチンコなど色々作ってくれて遊んでいました。保育園では手作りの竹馬で走るのが当たり前で、各家庭から竹で作った竹馬を持って保育園で練習していました。ですから今でも竹馬に乗ることができます。 木に作ったブランコやターザンロープでは坂道を活かして、木の枝がしなってとてもスリル満点です。「あ

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー㉒お父さんは自然遊びを教える名人

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー㉑超クソ真面目な女の子は怒られるのが嫌い

          恵まれた自然の中で育った私ですが、とにかく超クソ真面目でした。でも面白キャラも所々あるような子供でした。とにかく怒られるのが嫌い。自尊心が強すぎるのです。怒られないように怒られないように人の顔色を見て良い子にしていれば良いという子でした。 先生なんて通らない近所でも必ず自転車のヘルメットを被り、火を使うなと言われれば海苔を焼くのに外へ出て虫眼鏡で焼いてみたりと、言われたことは必ず守らないといけないというような融通の利かない子供でした。とにかく怖いんです。 そういった性格が

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー㉑超クソ真面目な女の子は怒られるのが嫌い

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー⑳さとうきびから黒糖が出来るまでを体験できたこと

          ざわわ~ざわわ~ざわわ~のサトウキビ畑。父は何でもチャレンジする人でした。黒砂糖が身体に良いので、サトウキビを栽培していました。 多分数人のチームが作ったのか、収穫した後は知人の山小屋に持っていってて加工していました。 私たち姉妹のおやつは固いサトウキビを父がカマでサクッと切って歯で皮をはいで、軽く噛んで渡してくれていました。 その繊維のかたまりの棒を噛むと、中から甘いサトウキビの汁が出てきていました。山小屋に連れて行って貰った記憶ではこの固いサトウキビを絞る機械がありま

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー⑳さとうきびから黒糖が出来るまでを体験できたこと

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー⑲お盆は花火と地引網で楽しむ

          夏休みでも仕事が忙しくどこかに遊びに連れて行ってもらうということはほとんどありませんでした。でもお盆はいとこ達がみんな集まってきます。もうワクワクしかありません。 みんなで座敷に布団を敷いて蚊帳を吊り、従妹の兄が怖い話をしてくれるのです。それがとても楽しかった。 夏になると1キロ以上離れた文房具屋で色々な花火が売られ始めます。みんなで歩いて買いに行っていました。帰った夜は庭で花火大会です。色付きの煙玉やねずみ花火に打ち上げ花火、田舎は自由に上げることが出来るので当たり前に

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー⑲お盆は花火と地引網で楽しむ

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー⑱健康的な夏休みの思い出

          小学生の夏休みの思い出と言えば、朝のラジオ体操とプールです。 毎朝6時30分になると自宅のすぐ近くにある公民館に登校班のみんなが集まってきます。班長さんが自宅からラジカセと印鑑を持ってきてみんなで体操していました。 公民館にには少し空いた土地があって、私は花を植えようとひまわりの種を持って行って植えていました。夏休みはそのひまわりが大きくなるのが誇らしくて眺めていたのを覚えています。 プールは日曜日以外毎日空いていました。監視人のアルバイトのお兄さんにかまぼこ板に名前を書

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー⑱健康的な夏休みの思い出

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー⑰ナイチンゲールを夢見る女の子

          小学1年生の時に読んだナイチンゲールに幼いながらも感動した私。 人の為に尽くせる人になると心に決めました。志を持つ年齢が早かった。そこからは看護師になるという目標に向かう為にコツコツの努力が始まりました。 医療という分野にチャレンジしようとする中で、父が食でみんなを健康にするということを毎日のように話していました。 父は東洋医学が好きで、東城百合子さんの本などを読む人でした。病院には歯医者以外一切行きません。 牛に蹴られても、生姜湿布で治しました。体調が悪くなれば、断食して

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー⑰ナイチンゲールを夢見る女の子

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー⑯お手伝いは働くことの練習

          農家の子供あるあるなのかもしれませんが、お手伝いは当たり前。 パートのおばちゃん達も一緒にお給料を貰えるレベルのお手伝いしていました。 学校から帰ると月曜日と木曜日は出荷の支度、学校が休みの日は牛の餌作りから餌やり、わら切り、みかん契り、とにかくすることは山程あるのです。 日曜日に遅くまで寝ていると祖母が「親が働いているのに何で子供が寝てるんだ」と小学生でも容赦ありません。しぶしぶお手伝いに行ったこともありました。牛舎から帰る時にはお風呂を沸かす為の小枝を拾ってつるで巻い

          100話で綴るお母さんが夢を叶えた奇跡の出愛のストーリー⑯お手伝いは働くことの練習