範宙遊泳『うまれてないからまだしねない』Actors' Profiles No.10 埜本幸良

 最新作『うまれてないからまだしねない』(2014年4月19日〜27日 東京芸術劇場シアターイースト)に出演する10人の俳優たち全員に、ひとりひとり、話を聞いていくインタビューシリーズ。

インタビュー&構成=藤原ちから&落 雅季子(BricolaQ)



埜本幸良 Sachiro Nomoto

1986年生まれ。岐阜県出身。青山学院大学経営学部卒。イメージフォーラム映像研究所卒業。2010年より範宙遊泳に所属。小劇場で俳優として活動する傍ら、映像作品の製作に力を入れている。

一昨年から滋賀県米原市協力のもと、地域の人々との映像製作を企画し、監督作品『クダン』を地方巡回上映の後、下北沢トリウッドにて上映。

範宙遊泳の広報活動として、京都公演Ust企画『ノモトサチロのガニメデからは死角』や『ノモトサチロの!真冬のラッパー慕情。』を展開。

おもな外部出演作に、カムヰヤッセン「バックギャモン・プレイヤード」(作・演出:北川大輔)笛井事務所プロデュース「棒になった男」(作:安公房/演出:水下きよし)などがある。


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 最後のひとりは範宙遊泳の劇団員、埜本幸良。映画を撮り、またフリースタイルのラップを映像で流すなど多才である彼は、範宙遊泳では特異なキャラクターを演じることが多く、唯一無二の魅力的な存在感を発揮しつつある。だがその道のりは決して平坦ではなかった。というか、絶望とスレスレだった。


▼自分を確かめる

——とうとうラスボスまで辿り着いたという感じです……(笑)。さて、範宙遊泳とのそもそもの関わりから聞かせていただけますか?

「今年の5月で、劇団員になってから4年になります。1年大学を留年したから、卒業が1つ下の山本、熊川、大橋と一緒なんです。もともと映画を撮りたくて映画サークルに入ったんですけど、全然活動しないで口だけから、もっと現実にやるのが面白いなと思って演劇始めたんですね。で、5年生まで大学演劇やって、でもこれ続けたいのか、本当は映画撮りたいのか? って悩んじゃって。就活もしてなかったし、岐阜の実家にフラフラ帰ったり、地元で大衆演劇観たり、名古屋の演劇人の稽古場観に行ったりして悩んで。そしたら卒業してすぐの5月に、スグルが電話かけてきて「劇団員にならないか?」って誘われて「なる」って答えた」

——最初に出演したのは?

「福原冠ちゃんとかと一緒に客演として招集されて、第4回公演の『透明ジュピ子黙殺事件』(2009年)に出たのが最初ですね。さらに半年後に『少年少女』(2009年)に出て、そこからはちょっと距離を置こうみたいなのが僕の中でありました。でも結局そ次の『山梨』(2010年)も出ることになって」

——距離を置こう、としつつも、劇団員の誘いは受けたわけですよね。

「1年ぐらい前から言われてて……。彼はけっこう仄めかすんですよ、いろんなことを(笑)。別の劇団の主宰にも「劇団員にならないか」って誘われてたから、それを確かスグルに言ったんですよね。そしたらスグルもたぶんちょっと焦って強く誘ってきた。口説き文句として「君の好きなことなんでもやらせてあげる、君の望みを全て叶える」みたいな(笑)。ふわっとしちゃってた時に誘ってくれたんで、とりあえず面白いことを現実に立体にできる場所にいるのが自分にとって、めざすところへの近道かなあと思って入ったんですね」

——その口説き文句はヤバいですね(笑)。

「イッちゃってましたね(笑)。それに騙されたわけじゃないけど、面白いものつくり続けてるやつだし、一緒にいたら面白い人や作品に出会えるかなと思ったんですね。で、入ってみて、ちょうどその時期に王子でやった『ラクダ』(2010年)くらいからスグルの意識がまたひとつ変わった感じがあって、簡単に言えば厳しくなったし、今まで客演として気遣ってた部分が減ってガツガツやるようになっていった。公演数も多かったんですよね。その頃は制作もいなかったんで、劇団作業とかもあり。そして入って半年経たないぐらいの公演が『東京アメリカ』の初演(2010年)だったんですね。で、めちゃくちゃ厳しくスグルに言われて「うわー」ってなって」

——ピポピポ喋る宇宙人みたいな役でしたよね。背景ではそんなことが……。

「はい(苦笑)。もともと演出家という存在が得意ではないタイプだったんですけど、劇団の主宰とはいえ、そこまで上から言われたことで演出家嫌いに拍車がかかって、その初演ぐらいからは憎しみも交じり……。これ、言っていい話なのかわかんないですけど。それで『東京アメリカ』が終わった時に「俺はやっぱりひとりでやる」って思って、逃げ出すように映画を撮り始めたんです」

——米原で映画を撮ったんですね。

「『クダン』という映画で、原作は内田百閒の『件』です。それまでイメージフォーラムで実験映画を学んで、セルフドキュメンタリーとかの手法に影響受けてたんですけど、七里圭さんの『眠り姫』を渋谷のアップリンクに観に行って、ああ凄いなと思って。ドラマでもないし実験映画でもない。原作がやはり内田百閒の『山高帽子』で、それがきっかけで百閒を読むようになったんですね。エッセイでもあり、自分の夢でもあり、周辺への興味も混ぜてるし、言葉遊びがすごいんです。漢字解体して遊んでたり……。『件』も人と牛が合体した伝説をベースにしたものです」

——東京ではなく米原で撮ったのは?

「岐阜のおばあちゃんの田舎が好きで、2010年の4月に帰った時に墓参りしたり田園風景見たりして、これ、たまらなく好きだなって思ったんですね。で、ロケハンしてたら親父の知り合いで米原で子ども向けのアートスクールをやっている方がいて、誘ってくれたから次の週に訪ねていったんですよ。それで市役所で待合せしたらちょうど市長さんが来てる日で、いきなり市長さんに紹介されて名刺とか交換して「協力するよ」ってなって、そこから米原の伊吹山庁舎の方たちが協力してくれて、次の週末には車出してくれて……っていう。

——すごいですね、ご縁が!

「僕の中では当初10分くらいのイメージ映像撮る想定だったんですけど、そこから米原で活動してる市民劇団の方とか、お隣の長浜市の文化会館の人とかが横に繋げてくれて、こっちも引けないんで、映画撮ります! って」

——でもそれがちゃんと作品になったわけですね。

「撮りましたね」

——そこで埜本さんに見えた風景がどんなものなのか、とても気になるので、ぜひ機会があれば拝見したいです。


▼絶望の稽古場で見つけたもの

——さておき、いったん話を進めてみようかと思うんですけど、そこから範宙遊泳にどう気持ちが戻っていったんですか。映画一本で行く道もあったわけですよね。

「……えっと、考えながら喋りますね。うーん、やっぱり役者をやりたいっていうのはあるんですよね。範宙遊泳云々の前に役者っていうのがあって。学生の頃は、ブイブイ言わせてたというか小さい界隈なりに人気だったしやれるぜって思ってたんですけど、卒業してからの範宙遊泳では全然通用しなくて打ちのめされたっていうか。周りにうまい役者も出てくるし、何くそ、っていうよりは「俺がやってきたことって……」と思って自分を確かめたくなったんですね。。『東京アメリカ』の次が『労働です』で、その後が「20年安泰。」の『うさ子のいえ』で。自分自身は相変わらず全然確かめられてない時期だったけど、範宙遊泳が良くなっていく状態は感じてたので、食らいついてやっていこうと……」

——範宙遊泳の知名度も、その数作で高まっていったというのはありましたよね。

「そうですね。でもその時がいちばん、自分要らねえんじゃないか、って悩んだ時期でした。「20年安泰。」の時に(企画プロデュースをした)徳永京子さんが、確か僕の記憶では、「今までなんで埜本君が劇団員なのかわからなかったけど、でもやっとわかった気がします」って言ってくださったみたいで、「知らねえよ」と思いつつも(笑)、まあやっぱり、そうですね……」

——嬉しいような、悔しいような。

「その「20年安泰。」の直後の8月に『範宙遊泳の宇宙冒険記3D』をやって、これは俺・スグル・大橋の男3人だけの芝居でした。今まで避けてきたものにがっつり向き合う公演になって、稽古場も、絶望、みたいな(笑)」

——絶望……。

「その辺りから、スグルも今の稽古スタイルっていうか、体裁とか空気とかどうでもいいからとりあえずいいものつくっていこうっていう腹の割り方が出てきたと思うんです。その時は僕はアンドロイドの役だったんですけど、極端なところまで振ったんですよ。演技としてひとつの極端なところに行ったぞという感触があって、その辺から武器というか引き出しとして、ここはブレないものができたぞっていう自信がひとつできたんです。もっと役者やってみようっていう気持ちがそこから生まれましたね」

——劇団員だけでやったあの時期から何かいろいろ変わってきたという印象は外から見ててもありました。埜本さんも、キャラがあるんだけどキャラ芝居に溺れない際どいところをキープしてるなという……。

「自分の中とスグルの中にそれぞれ別々にダサさを持ってて、ほんとスレスレなんですよ。稽古でも、昨日まであいつすごい笑ってたのに急にダサいとか言いやがる、みたいな……。俺はコントになるのは嫌いで、一見コテコテなことやってるけど、一歩はみ出すとダサいみたいなギリギリのラインがあるんですよね」

——綱渡りのような?

「そこはお客さんも持ってるし、やってる俺も持ってるし。そんなお遊戯みたいなものじゃないしっていう。取って付けたキャラ芝居ってわかるんですよね。そんなの3秒で思いつくじゃん、みたいなの。俺がもし変な声で芝居をしたとしても、それは3秒じゃないんだよ、2ヶ月練った、かっこいい経験を踏んだ答えなんだって言えるようになったのは大きいと思います」


▼道化として

——今回はどういう役なんでしょう?

「僕の役は、椎橋と同棲してる男の役なんです。家がなくて居させてもらってて、疎まれてる男。世界が終わっていくっていう環境の変化が起こり始めて、僕もその家を抜け出して旅に出るというか……。煩悩がたぶん多いんです」

——範宙での埜本さんは、わりと、欲望を鬱屈させている役が多いようにも見えますね。

「どうもスグルの中で、性的嗜好がちょっと変わった人間として僕を見てるのか、彼のそういう変質的なところを担わされてる感じはしますね(笑)。『幼女X』もロリコン的な役で、すげえわかるよ、的なこともありつつ、そこまで俺にやらせるかってこともあって、正直かなり引きましたね……。ただどこか、エグいことでもポップに見せられるぞ、とは思ってるんです。僕、道化がすごく好きなんですよね」

——道化って、例えば?

「今村昌平とか伊丹十三とかの映画で、どこかでこいつら今、道化を担ってるなという場面を見ると笑い泣きしちゃうんです。だから自分も、どんなことでもポップに変えてやるぜ、とは思ってますね」

——TPAM(舞台芸術ミーティングin横浜)での『幼女X』再演はやってみてどうでしたか? 引いたぐらいのキャラクターをまた演じたわけじゃないですか。

「初演の時は、自分の腹をかっ割くというか、ほんとに傷つきながら生み出すような、貴重でもある時間で。もう新しいものが生まれるしかないだろっていうところまで追い込まれて、ガッと密になったぶん、頭はやることの量でいっぱいでした。でもその頃から大橋とやるのがとにかく楽しくなりましたね。前からすごく信頼関係はあったんですけど。再演では、劇場のスケールの違いや言葉の壁を乗り切ったっていうのは大きな自信になりました。だから今回の芸劇の広さもなんとかなるでしょうと思ってるし」

——マレーシア公演も決まりましたね。

「そんな簡単な楽しい旅にはならないと思ってますけど、マレーシアでも、ちょっと時間頂ければどのスケールでもやりますよっていう気概はあります。そんなこと言ってると演出家に怒られそうだけど。あとは演出家と俺たちがどんなポジションでできるか、そこだけに尽きるかなと」


▼他人の言葉、自分の言葉

——範宙で、一時期、険悪というか、ギスギスするようなこともありながら今に至って、というのは埜本さん的にはどういう位置づけになるんですか。

「『幼女X』辺りから、何か世の中の生きづらいという感覚と、俺らとスグルが大人になっていく時期とがいい感じにリンクして、彼も結婚して、という……。今作は震災のことも想起しちゃうんですけど、小難しいことでもなくただ今感じるキュッとされてる空気を扱ってるなっていう。どんな状況でも希望に感じるしか俺らしょうがねえじゃん、みたいな。そういうことを思わせる作品で、1回台本読んで打ちのめされたんですけど、でも俺はこれを上演して多くの人に見せる側なわけで、範宙遊泳としてこの作品を世に送り出す共犯者であるというのを思ったんですね。だから親にも観に来なよって電話したんですけど、親の世代から観たら「君たち若い世代はこういうこと考えてるのね」って思われるだろうし、でもあながち間違ってもない。だからこの台詞はスグルが書いたものだけど、俺の言葉でもいいよ、俺はこういう人間ってことでもいいよ、って思ってるんです」

——それって不思議なことですよね。俳優って、常に他人の言葉で生きる仕事じゃないですか。

「実は、それに対する抵抗がムチャクチャあったんです。「憧れの俳優いる?」って訊かれても全然ないですけど、忌野清志郎にはなりたいなっていうぐらい憧れてたんですね。ミュージシャンはめっちゃ言いたいこと言ってるのに、なんで俳優は生の芸術でお客さんを目の前にしながら、こっちに向かって言いたいことを言わずに横向いて、自分の言葉じゃないストーリーをやっていくんだろうって。その遠回りして伝えなきゃいけない、見えない操り糸のようなものにフラストレーションを感じた時期に、YouTubeに毎日フリースタイルのラップを上げてくってことをやって、それは映画も撮らず、インプットする時間も減り、ただ公演の台本読んで上演するだけになってしまってたから、もうMacのカメラで録画ボタン押して適当にビートかけといて喋るっていう。そういうことでしか自分を確かめられないし、自分で言葉を出していかないと生きられないと思ったんです」

——表現者というか、人間としてのそんな危機を経たうえで、今回は「この台詞が自分の言葉でもいい」という感覚を持っていると。

「これは俺が喋りたいことでもある、っていう意識は持ってますね」

——じゃあいよいよ最後の質問です。今作の見所をひと言で表すなら?

「そうですね……誰も拒んでないし、誰でも観に来てほしいっていうことですかね。大げさに言えば、大統領の演説を集まって聴きにくるみたいに、どんな人でも寄って来られるはずです」

——大統領の演説!

「命の話がテーマだけど、だって、命ってみんなのことだから。それにタイトルからして平仮名で書かれていて、みんな寄ってこいよ、って感じがするでしょ?」

——そういう意味では、若い世代の声のあらわれであり、と同時に、普遍的なものでもあるような気がします。……もう終電ギリギリですね。今日は本当にありがとうございました!

(TPAM in Yokohama 2014 範宙遊泳「幼女X」より 撮影:amemiya yukitaka)

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