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自分の顔と向き合う

 昨日に引き続き"顔"の話。
「顔はただの装飾品。大事なのは中身。」
生きてきて何度か耳にしたことのある言葉だ。

 21歳になって初めてセルフポートレートに試みた。そうすると嫌でも自分の顔と向き合うことになる。

 思春期の時は自分の容姿が嫌いだった。鼻は低いし、歯並びは悪い。奥二重も気に入らない。母親譲りのくるくるした髪の毛も苦手だった。今思い返せばそこまで重く考える必要なんてなかったのかもしれない。鼻にクリップをつけて過ごしたこともあったし、アイプチが無いと生きていけないとまで考えていた。その頃、同級生の男の子の中でアイプチをしている女の子の名前をリストにするのが流行っていて、私の名前も入っていることがわかった。本当の顔とは違うということを彼らは面白がっていたのだろう。それだけが原因ではないが、ショックを受けた当時の私は高校三年生まで男の子が嫌いで仕方が無かった。"過剰なフェミニスト"に近い人間だった。時間が解決してくれたのか、今は男女問わずリスペクトすることを大切にしている。肝心の今はというと、美容に詳しい姉の影響を受けて理想の自分になるために出来るだけのことはして、少しは容姿のことを好きになれた。

 話はセルフポートレートに戻る。自分の顔を珍しくじっくりと観察した。少し高校卒業時よりも大人になった気がする。化粧が変わったのか、顔つきが変わったのか。写真フォルダにある高校生の時の顔と比べれば別人のようだった。中身が変われば顔つきも変わるのかもしれない。母親を除き、家族からは大人になったんだと言われた。(母親は頑なに私の変化を受け入れない笑)

 他者からみる自分の顔が本当だとしたら、自分が鏡を通してみている顔はそれに近い何かなのだろうか。だが、私は他の人に写真を撮られるのに苦手意識がある。自分の顔は私だけのものだと感じてしまうことがある。だから、セルフポートレートを作成した際には誰かに撮られるよりも心地良かった。

 いつしかは、他者から撮られた私の写真をみて満足できるようになりたい。これが私なのだと堂々と居られるようになりたい。そうするにはまだ未熟である顔や容姿に対する思考を変えていかなければならない気がする。

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