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8|このくにの、祭りの効能

 私の父は、島根県旧邇摩郡にまぐん湯泉津ゆのつ小浜こはまで生まれ育ち、同町にある小浜厳島神社で、母との結婚式をあげたそうです。

 温泉津は、平成19年に『石見銀山遺跡とその文化的景観』の中に含まれ、世界文化遺産に登録されています。登録対象は、「銀鉱山跡と鉱山町」、「港と港町」、「街道」の3つの分野に分類されています。

 石見銀山から取り出した銀を、山から降ろし出港する港町が湯治場として栄えた、その名の通りの、港の温泉街です。
(Cf. 世界遺産『石見銀山遺跡とその文化的景観』について) 

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 入院で母不在の中、本家の従兄弟の葬儀のため、故郷島根へ帰省しとんぼ帰りしてきた父と、夕食を一緒に。岡山から出雲へ抜ける特急やくもは終点間近に、宍道湖を併走する。

「宍道湖どうやった?」

「いや、今回は雨が降ってた。島根はやっぱり秋がいいよ」続いて、父が突然話しはじめたのが、小浜厳島神社に伝わる神事「御日待祭おひまちまつり(日祭り)」のこと。

毎年2月14日に日まつりという鎮火祭がある。

それは、むかし、小浜で大火事があり、村人達が懸命に消そうとしても消えず、もう神様にすがるよりないとお祈りをしたところ、1羽の白鷺が飛んで来た。そして、この白鷺が荒れ狂う火の上をぐるぐる回ると、不思議に火はぴたりと消えたという。

その霊験に驚いた人々は、昔小浜の神様に5人の御子があり、末の弟の五郎は荒々しい子だったため、領地をえられなかったのでこれを怒り、家々の戸をたたき、大声をはりあげて夜も寝ずに飛び回ったという話と結びつけ、この五郎を火の神として荒神さまにしたという。

 それ以来、小浜地区では各家から薪を持ちより、氏神に集まって、夜どおし火をたき「寝たら起こせ、王子や王子、五郎の王子」と叫びながら、町をねり歩く火まつりの行事をするようになった。

しまね観光ナビ 伝統芸能・祭

 わたしの父は、小学四年生のときに、父をなくした。
母と末子2歳の弟を含む4人兄弟と、呉服屋の借金が残された。それ以来、若干齢10歳にして、家人の名代となった父は、毎年、大人の男衆に混じって、徹夜で太鼓を叩いたらしい。

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 わたしの盆踊りデビューは、浴衣姿の父に連れられて、父の生家から歩いて3分の湯泉津小浜にて。
父は盆踊りも好きやが、どうやら太鼓叩くのが好きらしいな…というのを、まだ2歳とちょっとのこのとき認識した記憶があるのだが、そのルーツが、この日まつりにあることをはじめて知った。
わたしのまつり好き、踊り好き、太鼓好きの由縁もいわんや。血はあらそえない。

 話は止まらず、小学生のときぶりに、夢見の話をした。
 私も父も両手にはっきりとした仏眼のしるしを持っていて、父は「おまえには仏縁がある」とまわりの人に言われて育ったらしい。わたしは幼いときから自分の夢見は祖母や父から引き継いでいることを知っていて、祖母についてはエピソードを聞いたことがあったけど、父がどんな夢見(父は幻想、と呼ぶ)をするのかは聞いたことがなかった。

 私にとって、長い年月、それは安眠を妨げる迷惑なものであり(物心ついてから一日も休まず…)、時に恐ろしいものでもあったけど、父の夢見には、優しい小浜の仏様や先祖の方々が姿をあらわされ、なにかを示唆されるというものらしい。

 え。そーゆーのいーね(棒読)と、心底羨ましくなった。
なぜにわたしのやつはトキドキ過激派なのか(白目)

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 2月に入ってからなぜか「神楽」が浮かんでは消え、浮かんでは消え。
あぁ、石見神楽みたい。島根に帰りたい…。と思っていた矢先の出来事でした。

【2019.02.22記】

〜後記〜

 今年は全国各地で様々なお祭りがやむ無く中止に…と聞き及びます。
いつの日かの再開を願いながら、形の有無以上に、このくにに生きた方々が、それぞれの生活のなかで寄り添い、大切に伝承してきたなにかが、私たちの立つ足もとを支えてくれているような気がします。

ちなみに、御日待祭が行われる2月14日は、妹の誕生日。(笑)

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