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22|あい -pre-

〈お茶会のご案内(開催概要)〉


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曙草(白)、金水引(黄)、水引草(赤)を栗籠に。
金水引の花言葉は、「感謝の気持ち」。

茶花

 茶の湯も、着物も、時の変遷のなか積み重なってきた様々なもので、「時代の転換」や、「地球や宇宙全体の変容」の文脈において、〈次へ〉の移行には、重くて耐えられないものの、筆頭ではないか…と、思うことがあります。

 茶の湯はまだ、「茶道」という門に守られ残るのでしょうが、着物は・・・。
一部の方々にしか触れられないところにある、というのは、伝統文化という称号あれど、すこしさみしく、悔しくも感じるものです。

 私たちは、この次元で経験を動かして、「存在として次(の変容)へ」と向かいます。
変容しきれず、経験をとめてしまい、同じところで渦を巻くなら、捨てゆく、、、そんな選択肢があってもよいとも、思うのですが。

 純粋な意識・エネルギーとして、茶の湯や着物の、その源泉、核の、そのまた深いふかい、核のようなところに触れるとき。
やっぱりそこには、その源泉と、辿りきたみちへの深い敬意と感謝。
かけがえのない光、のようなもの、があるなぁ…と、そんな気がします。

 ときに、反吐をはきそうなものと、対峙することもあります。
でも、取り込まれることも、囚われることもなく、正対し、つぶさにきづき、ひとつひとつを、ありのままに、受けいれゆく。
ときに顔を歪め、ときに心が叫ぶことが、あったとしても。
 
 なぜなら、私たちは、そこにある〈自然〉をみつめることでしか、〈次〉にいけないからです。
そして、みつめることはいつも、一方通行ではなく、「相」。

 いま、私たちにわからなくても、此処にも、そこかしこにも。
遍く多次元の、多次元を貫く、おおきな意図があります。
わからなくなっても、間違ったり、まようことがあっても、結局、その眼差しを、信じているのです。

【動画(2分)】
▶︎稽古の風景。(字幕等ありません)
時々謎にカメラ目線になったり、この日はだいぶ素(ス)感が!!!
ちなみに、声の出演は母です。(ぺこり)

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