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誰が見たくなるねんこれっていうフライヤー多すぎ問題

っ誰が見たくなるねんこれっていう演劇関係のフライヤー多い。

僕も正解が全然わからん。

例えば、

あらすじとかいっぱい書いてて、文字の情報量多すぎて読む気にもならんやつ。

逆に少なすぎて演劇か何なのかすらわからへんやつ。

わざとダサくやってるのか分からない単純にダサすぎるやつ。

あえてダサくしてるってのも「あえてやってるんだろうな」って分かってもらえないとただのダサいになる。

ダサい写真にダサい構図で誰やねんこれって人が写ってるやつ。めちゃ多い。(これに関しては僕もよくやってたから過去の反省でもあります。)

個人的感想ですが一番ダサいと思うのは
役者の宣材写真の顔の部分だけ使って、その体はイラストのやつ。

分かります?伝わります?「例えばこれです!」と、例を出すと悪意しかないので僕が作ったクソダサ画像を置いておきます。このタイプのやつです。どこかで見たことあるでしょ?トップ画にも貼りましたけどこの感じです。


クソダサ


これめっちゃダサない?令和だよ?今、令和だよ?

いくら低予算とはいえ、こんな写真の使われ方して、フライヤーになるくらいなら、写真使わないほうがええ!

文字だけでなんとかなる。無難なやつ作れるでしょ!?

あのイラストに顔の部分宣材写真ポスターをあえて、逆に、あえてイジッてめっちゃダサくして、「なんやこれ、だっさー!センス古すぎるやろ!」ってみんなで笑いながら作るのはまだいいとしても、その場合はあえてダサくやってますよってことを一発で伝えなくちゃいけないので、やはりそれなりのセンスがないとできないですよね。

あとは物語自体が昭和の頃の話で、フライヤーやホームページから作品の内容にリンクしたつくりになってるとか。

センスない人が努力して、一流デザイナーになる話で、センスないときに制作したのがこの芝居のフライヤーというメタ的要素を入れた内容だったりとか、まぁとにかく意味もなくダサいのはダメだということですわ。


僕も、デザインをほんの少し、小さなソバカスの一粒くらいの量の勉強をしてみましたが

色を使いすぎていたり文字が多すぎたり、余白がなさすぎたり、ほんの少しだけデザインを確認するだけでもダメな例って分かるんですよね。

ソバカス一粒の量の勉強でもわかることなのですが、それでもダサいフライヤーをよく見かける。それはもう何も勉強していないってことじゃないか。

それかセンスが終わっているか。

センスなんか人それぞれで、昔自分で劇団をやっていたころに『先輩からもらった服がダサすぎて、とても着れないけど、先輩からもらったし、着なくちゃ気まずい』って話と『オシャレに詳しくない青年が勇気を出して服を買いに行き、チャラい店員からダサい服勧められて疑問に思うも購入してしまう』っていう話を書きましたが
アンケートで『なにがダサいのか分からなかった』というご年配の方からの意見がありました。

僕個人的にはめちゃくちゃダサいなぁって思った服をチョイスして(サイズ感とかプリントされてる絵とか文字が鬼ダサかったの。淡いピンク地にカラフルな文字ででかでかと『HIT!』て書いてあったり。)やったつもりだったんですが、伝わらない人には伝わらない。

ということはこの、宣材写真にイラストの体フライヤーもダサいと思わず、逆にめっちゃ格好いい!とかこれは斬新!!とか思って作っている人がいるってことなんですよ。

それはそれですごく面白いですよね。

おもしろくないことを言って滑ってる人に対して「面白くないなぁ」って思うより「この人は、この滑ったことを面白いと思って発言したんだな。」って思うと面白くなってくるじゃないですか。

それと一緒で、ダサいフライヤーはダサいフライヤーでおもしろいってことなのかもしれません。

あぁ訳が分からなくなってきた。

とにかく、みんなの興味を惹くフライヤーってすっごく難しいからもっと考えたほうがいいよねて話。でした。

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