思っていたことと違う

GW、とはいっても外出自粛の身なので、4月と大差ない生活を送っている。

本当なら今頃、忙しくはないものの、仕事に勤しんでいたはずで想像していた未来とは異なる連休を送っている。

今朝は雨が降っていた。

最近はどうも初夏の色が強く、春なのに30度を超える気温で汗も滲むようになっていたが、昨晩から明朝にかけて小雨が降ったからなのか、今日はとても過ごしやすい一日だった。

わたしは元より春も夏もそんなに好きじゃないが、初夏は好きだ。

過ごしやすいし、何より新緑が美しいし、藤の花や菖蒲、紫陽花といった素敵な花が咲くし、雨の音や鳥の囀り、家に吹き込む風が好きだからだ。


朝に雨は止み、すっかり湿気も飛んだので今日は大変すばらしいお掃除日和だった。

わたしは予てよりサボっていたベランダ掃除に着手することにした。

なんという風の吹きまわしだろうか。

絶好の機会を逃さず、サボらなかった自分に対して拍手喝采したい。


実は、私はベランダでプランター栽培をしている。

作付けするものは毎年異なり、野菜であったり、お花であったり。

なんとなく適当に好きなものを植えている。

基本は夏野菜を植えて、何となく食べているのだが、昨秋はアネモネを植えた。

珍しく苗でなく、球根に手を出した。

元々私の母は園芸が趣味で、田舎の広大な庭先に花や野菜を植えていた。

以前書いたと思うが、母は緑の手を持っており、植物の扱いに長けている。

祖母が枯らしかけた蘭を引き取って蘇生させたり、祖母が枯らしかけたサクランボの木をちょん切って庭に挿し木にして立派に育ていたり。(祖母は田舎のお嬢様育ちなので、家事回りのことは点でダメ)

母は植物を愛し、愛されている人だ。


幼いころから、そんな母を見てきた。

だから草花に囲まれて育った私も例に漏れず、植物が好きである。

母とは、買い物をよくするのだが、地元のホームセンターのパトロールは日課。昨年晩夏に訪れたその日には、球根の叩き売りをしているところにバッティングし、母はフリージアとチューリップを、私はアネモネの球根を購入した。

いずれも色がバラバラなアソートのもので、花が咲くまで色はお楽しみといった感じである。


わたしは球根栽培が初めてだったので、植え方だったり水やりについて割りあい真面目に検索し、球根の植えるのもお天気と相談して慎重に植えた。

10月ごろが頃合いだとネットの何かで見たので、10月1日に早速植えた。

しかし、11月になっても、12月になってもなかなか芽が出ない。

離れて暮らす母に逐次、「アネモネちゃんの芽がまだ出ない」だとか「もしかしたら私の植え方が悪いのか」と相談した。

しかし母は「わからん。待てば出てくるから放っておけばいい」、「肥料を適当にやればいい」ぐらいしか答えてくれず、私は母の不親切ぶりにイラついた。

まあ怒ってもアネモネの成長に何もかかわりないので、お水と肥料は適宜あげて、ずるずると時が経ち、やっと2月末に芽が出た。

思っていたより、ずっと遅く芽が出た。何かの本には12月には芽が出るって書いてあったじゃないか。


でもここからが早かった。

3月に入り、ようやく一輪、つぼみが出た。

色の濃いピンク色。正直好みの色ではないがやっとついた蕾に私は大興奮。

母に伝えると、「だから言ったじゃん~。」と一言。

かわいいアネモネのお花は、みるみるうちに開花し、大きく凛々しく咲いた。


その後が一層早く、アネモネのつぼみは日ごとに増え、気付けばプランターは原野と化すほど大量の花が咲いた。

2日に一度間引きをしても追いつかず、春の生命力を感じた。アソートの球根セットは、強いピンクの花だけでなく、赤、紅白のバイカラーや紫、そしてアルビノの球根がたまたま入っており、可憐で愛らしい白いアネモネも咲いた。

まさかこんなに咲くとは。

11月からは予見できないほど、植物は逞しく、強かに育っていたのだな。


4月にピークも去り、そろそろ刈り取って今年植える分の球根にしてしまおうと思った。アネモネは刈り取って、根本を分ければ再度球根として植えることができるそうだ。

そのため3月後半から来年の植え付けに向けて、花を除いたり間引きを強めにしたりと準備をしていた。

元々アネモネが好きなので、毎年この開花がルーティーンになったらと思うと心が弾んだ。


そして本日。

雨も上がり、土も乾いたところで本日の午後に球根発掘作業に着手したのだ。


プラのシャベルを勢いよく、土に突き刺し、株の下を掘り起こす。

いでよ!未来のアネモネのベイビー!

堀り返した土は根付きがとても良く、期待も膨らむ。

根をほぐしてほぐして、徐々に土を払い、糸のような根を解いていく。

ようやく根本に届いた瞬間、回りについていた土がバラっと落ち、アネモネの根本は根とドッキングした茎が露わになった。



え、球根は?



もしかしたら土と一緒に落ちてしまったのかもしれない?(生物学上あり得ないけど)と思い、必死に土を掻きわけたが見当たらない。

もしかしたらこの株は奇形だったのかもしれないと、全6株を掘り返したが、とうとう球根を見つけることはできなかった。


ああ、思っていたのと違う。

3月から球根分けの勉強をしていたのに!

私のアネモネ生涯作付計画は、初年にして散り去ってしまったのである。

「緑の手を持つ母の娘だと、傲っていた部分があったのかもしれない」と少なからず反省と落胆して、母に伝えたら「また来年買えばいいじゃん」と綺麗に咲いたフリージアの写真を送ってくれた。

植物の栽培は、思うようにはいかない。

母が植物との関わりに優れているのは、論理や前例に囚われず、つかず離れずの放任的性格の為なのではないかと最近は思う。

毎朝水やりをしたり、よく話しかけたり、でも日中はそっちのけで殆どかかわらなかったり。

経験と言ってしまえばそれまでだけれど、成功と失敗を重ねたことで生まれた距離感が母と植物のかかわりを生んでいるのだろう。そういうのって良いな。

わたしは植物に関しては、本当に青二才。

思うようにいかないことに若干憤った反面、伸びしろを感じた。

次は何を植えようか。




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