9月 脊椎外来にて

そういうふうに、腰椎椎間板症は治っていくのですね。。。という覚え書き。

6月。脊椎外来の日があって。手術しない!を選択したところ「それではリハビリで治す。ということで」となり、それから当番医の先生が診てくれる日が9月になり、内心『こんなに痛いのに、自分大丈夫かな』みたいのはあったのだけど、最悪の時は同じ曜日だったら、同じ医療ができる先生が同じ曜日にいるから、その曜日を狙ってきて!ということだったのだけど

わりと、持って。大丈夫で。

今月は診てもらえたのだけど

3ヶ月づつ、痛みは半減していく。という話で。

5月下旬に突然発病(だいたい6月)
  ↓
9月で痛みは半減
  ↓
11月で痛みは更に半減
  ↓
翌年2月で痛みは更に半減←完治?

。。。みたいな感じらしい。だから

今年中に治るかな?みたいな感じで。ただ、この半減づつ治る。でも手術しないで完治するのならば

良きかな。とも思う。

自然に身を任せて治るものならば、それで良き。ではある。

母が乳がんになって、そばで見ていたけど、化学療法しか選択がないという場合、本人がいちばんダメージを受けるのだけど、患者家族としても、衰退していく母をサポートしていて、相当厳しいものがあった。抗がん剤治療、手術、放射線治療。食べられたり、食べられなかったり。なぜか、うちの母は抗がん剤治療の時、ほとんどのものは食べられない感じでしたが、2つだけ、食べられるものがありました。

納豆ごはんと
ぶり大根。

ぶり大根なんて、食べられるの?という感じで。

人から教えてもらった料理で、シーチキン大根ってあったのですが、味はぶり大根ですよ。そんなのでいいんですよ。ツナ大根。まぐろ大根ということになる!

シーチキン、すごいな!

母は今年で5年目という区切りの年を迎える。当時のことを今はふざけて

「ママはさ、あの抗がん剤治療の時は

 スイムキャップを被って、スイマーのコスプレをしたり

 磯野カツオのコスプレをしたり

 コスプレざんまいで忙しかったよね」と

当時を笑ってみたり(治療中は言うなよ)していたけど、

今度は家のほとんどの買いものを担っていた私が潰れることになった。順番があるものなのだな。と、感心さえする。

家の中で誰かが病気になれば、誰かが看病をしながら、家事をして、というのが、現在の家族介護の現場だろう。身をもって体験したけど

まさかの今度は介護される順番がまわってきた。

私は1年完全に潰しました。完治までは1年を越える感じですが、

絶対完治する。

ただ、今年2024年は

なんだったの?みたいなのは残ってる。

ひとつだけいえることがあるとしたら

『はじめて怒りの感情を外に出した』

これはあるんだよ。私はこれまで怒ることがほとんどないタイプの人間で。怒るようなことがあった場合は

対象者から離れた。これだけで怒りを消化してきた。

だから、怒りを表に出す必要がなかった。ところが、である。

公務員がマズいことがあったことを認めるくらいヤバいことが発生した。。。しかも

行政がオフィシャルみたいにした業者がやらかした。。。なんか、まだいるみたい。なんでいるの?という感じ。

みんなすごく怒ってるよ。特に飲食店。業務妨害されたようなものだから。からだ壊して、毎日店を開けられなくなった。という方もいらっしゃるみたいだし。自転車を使ったような仕事の人も退職されたようだったし。

私も自転車を使っていたから、人より呼吸したせいでなかなか治らないし。

気持ちを新たにしてみたけど、結局自分原因ではないので、効果がなく。。。

大気汚染後遺症。。。腰椎椎間板症で終わりにしてくれ!これもなかなか痛いし、キツい!だいたいお金もらってないし!(アクリル酸ガスはアクリルレーザー加工の副産物であり、レーザー加工した人(ハンディがある方)は、時給発生しています。ただ、周りにたまたまいた人は無条件で知らないうちに劇物ガスを数ヶ月吸ってしまった。というのが今回の案件です。なぜ数ヶ月も吸ってしまったのか?というと、完全に無駄な我慢の強要です。あと、知らないうちに誰も知らない事業所ができていた。という、誰も思いもつかないやつだった。というのもありました)

ただ、私は治るとか、生きているという

強い運は持っている。

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