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戻りたいと思える一瞬にしたい

過去に戻りたいと思うことはあるだろうか?

初めて友達が出来た幼稚園

行事に一生懸命だった小学校

制服を着て少し大人になった気分の中学校

何も無くてもキラキラ輝いていた高校

昔の自分は無垢で無敵で、今の私からすると眩しい存在であった。

常に最強で最高だった。自分を信じて疑うことをしなかった。

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若さとは純粋さであると私は思う。

大人になるにつれて知識や経験が増えていく。

これは、思考が深まり自己のレベルアップと考えると良い事のように思うが、昔のような無垢で綺麗な心のままではいられなくなってしまう。

世の中について知れば知るほどどうにもならないこと、汚いこと、理不尽なことは腐るほどある。

自分が思っていた正義というものは存在しないと言っても過言ではないほどに。

昔は心の底から自分の正義を疑わなかった。

私は間違ってない。美しいままだ。

そう思うことによって自尊心を保っていたのかもしれない。

大人になるにつれてそれがただの思い違いだということが明らかになっていった。

世の中は綺麗なものだけではない。

汚いものはどこにでも存在していて、それに関与していないことなどほとんどありえない。

それを理解して受け入れるということが大人になることなのだと言われるとまた違うかもしれないが、私は綺麗なものと思い込むよりはよっぽど健全であると感じてしまう。

人や自分の汚さ、愚かさを認めるということはかなりハードルが高い。

誰しも自分はかわいいものだからまっさらで綺麗なものとして愛したいのだ。

でも実際はそんなことは無い。

それを受けいれて愛している今はあの頃のような無垢な輝きとは違うのだろうと思ってしまう。

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22歳になり、成人して2年経った。

正直19歳と20歳なんてそう変わらないし、法律で成人とされているだけで中身は子どものままなのが大半であろう。

2年前の私は現にまだまだ子どもであった。

そこから今になり、少しずつ自分の思考が変化していくことを実感している。

もちろん今の私も若く未来は自分の力でどうとでもなると思うし、まだまだ成長段階であると認識している。

その中で私が言いたいのは、大人ぶりたいわけではなく、思考としてあの頃のようには戻れないのだろうということである。

自分も若いが、今の若い世代はという言葉を使ってしまう。

自分より下の世代は私から見るとまだ綺麗なままのラムネの瓶に入っている透明なビー玉のように見えてしまうのだ。

自分を疑わず、それを信じて過ごしている。

昔の私のように。

その姿はやはり眩しく思えてしまう。

今もどれだけ自分が汚くても、私は私を1番愛してはいる。

だが、足の踏み入れたことの無い雪原のような人達を見ると羨ましくも感じてしまう時もある。

今の自分に後悔も不満もないが、ふと戻りたいと思ってしまう。

好きと嫌い、面白いと面白くない、

当時はこれくらいの基準しかほとんどなかったであろう。

善悪の区別もハッキリとはついてなくて、それでも間違ってないと思いながら生きていたあのころ。

知ってしまうと、知らなかったころには戻れないという事実が、ほんの少し心にすきま風を通してしまうだけ。

そう思いたい。

不可逆的な心の変化を受け入れつつも懐かしむ。

そうやって人は成長していくのであろうか。

またいつか未来では今のわたしをそう思う時が来るのだろう。

通り過ぎてしまう時間の価値を考えてしまう。

今もまた戻りたいと思える一瞬でありますように。




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