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書くことの先に

こんにちは。はなぶさりあむです。

先日、彼から「TVerでテレビ番組を見ることはいいの?」と聞かれました。
最初はどういう意味かわからなかったのですが、彼の意図はこうです。

無駄な時間を省き、やりたいことをやる。それを実践している人の前で、テレビを見るのは許されるか。

わたしは驚きました。


わたしは最近、やらないことを減らし、習慣を見直しています。

しかし、これは自分の時間を有効に使いたい、これまでのわたしを変えたいと思ったからであって、わたし以外の人にもやってもらいたいわけではありません。

テレビのバラエティ番組を見て英気を養う人、好きなゲームに熱中したい人、SNSで最新トレンドを確認したい人。
それぞれ時間の過ごし方やくつろぎ方があります。
わたしはそれを否定しているわけではありません。
これだけはきっぱり言えます。

わたしは、わたしの時間の使い方を工夫しているだけで、多くの人に広めようとか、みんなに実践してもらおうとか、極め付けには強制しようとは全く思っていません。

ただ、自分が快適になったので、そのことを文章に書いて発信したいと思ってはいます。


でも、発信するって読み手がどんなふうに受け取るか、わたしがコントロールできない行為なんですよね。そんな当たり前のことなのに、気がつくのにものすごく時間がかかりました。


まず、わたしは毎日noteを始めてから、思ったことを「書くこと」に重きを置いて、書き続けることを目標にしていました。

ただ「書く」だけであれば、チラシの裏にでも書いていればいい話で、わざわざネット上に公開する必要はありません。

それでもnoteで「書く」ということは、誰かに「読んで」ほしいという気持ちが必ずどこかにあるからです。

とにかく「書く」ことだけを見つめてきましたが、そこには表裏一体的に「読む」ことがあるわけで、わたしはそのことに目を向けていなかったように思います。


彼が質問をしたのは単に疑問だっただけで、深い意味はなかったようですが、わたしには強い衝撃と気づきがありました。

「書く」ということは、誰かがそれを「読み」、解釈し、時には影響され、行動を変える場合もあるのです。

わたしは「書く」ということが、ものすごく大きくて、強い力があり、時には自分が飲み込まれてしまうようなエネルギーすら生み出す、何か大きなモンスターのように感じました。ちょっと怖いくらい、大きな何かです。


わたしはこうやってnoteに細々と書いていますが、読んでくれる方がいて、そして、お気に入りやコメントをいただけることもあります。

今までは「やったーたくさんいいねもらえた!」くらいにしか捉えていませんでしたが、ようやく「読んで」もらえる、その重みを実感しました。

誰かが読んでくれる。そしてその誰かに影響を与えるかもしれない。わたしが書いた意図とは全く違う解釈をする人も現れるかもしれない。そしてそのエネルギーに打ち負かされてしまう日が来るかもしれない。



それでも、わたしは「書く」のでしょうか。


その大きなモンスターに気づいた今、恐れや不安とともに、心の底にくすぶるものがあるのを感じます。


わたしは、それでも「書こう」としている。


「読まれる」ことに喜びや達成感を見出し、どんどん積み重ねていきたい。もっと「書いて」いたい。

今はそう思います。


わたしはこれからも書き続けようと思います。できることは少なく、武器もなく、メンタルも豆腐だけど、それでもずっと書いてみたいと今は思っています。

多分、明日からもnoteを続けます。1ヶ月連続更新をとりあえずの目安として、書き続けます。そして、そのあとも、書くことをやめないと思います。
更新頻度は未定だけど。
もしかしたらnoteという場ではないかもしれないけれど。

ほんの少しだけ成長したような気分になって、また、歩いていこうと思います。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


では、また明日ね。



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