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「抱っこからハグへ」いくつになっても伝わるぬくもり

大雪が降った翌日の朝、60代くらいの女性と豆柴がお散歩しているところを見かけた。

しかし、女性が豆柴を抱っこしながら歩いていたので、
「お散歩じゃないじゃん。豆柴を抱いたお母さんのウォーキングじゃん。」
と微笑ましく思ったのと同時に、むかし従姉妹が雪の日に1歳のむすこを抱っこしたままうしろに転倒し、腰を強打したときのことを思い出した。

いとこは「おかげで腰が痛いわ~。」と苦笑いしながら話してくれた。

「わが子を守る」という思いがとっさの行動に出て、我が身のことなんぞそっちのけで、1歳のむすこを両手でぎゅっと抱きしめて守ったのだろう。

豆柴とお母さんが散歩していた日も、雪で道幅が狭くなり、所々滑りやすくなっていたから豆柴が車にひかれないように、そして車が走りやすいように、お互いの安全優先で豆柴抱っこの散歩をしていたのだろう。

むかし私も幼いむすめを抱いてお出かけしたり、寝かしつけるために夜な夜な抱っこしながら散歩をしていた。むすめが幼いころは4世代が一緒に暮らしていて、私たち夫婦の他に、義祖父、義父母にたくさん抱きしめられながらむすめは育った。

そんなむすめも今は高校生。大きくなったむすめを抱っこすることはもうない、というより体力的にできないけれど、ハグは今でもしている。

「いってらっしゃい」や「おやすみ」の挨拶とともにハグをしたり、冗談を言って笑い合いながらハグをしたり。親子げんかをした後なんかは気まずい空気が薄れてきたころに、ハグをして「ごめんね」と言ってみる。

女子高生にもなれば、親と話すことも面倒くさくなり、ましてや「ハグなんて恥ずかしくてできない」と言われてもおかしくはないことだと思っている。現にむすめの同級生が、
「親とハグなんて考えられない!」
と言っていたとむすめから聞いたこともあるし、私の友人からも、
「高校生の子どもとは、もうハグはできないわ」
と聞くこともある。

しかしむすめは、私にも、夫にも、義母にも気さくにハグをしてくる。私も夫もむすめとハグをすることで安らぎや、喜びを与えてもらっている。年代的にもハグに抵抗を感じる義母ですら、むすめから気さくにハグされることをとても喜んでいる。

私は「相手に言葉で伝えることがあまり得意ではない」と思っている。誰に対してもそういう思いはある。むすめの話をじっくり聴いていて、その時に感じたことを伝えたいと思っても、どんな言葉を使ったら伝わるのだろうと考えすぎて、自分の意図したことがうまく言葉に出てこないことがある。

話し終えたあと「なんかあまりうまく伝えられなかったかも・・・」と考えるときもあるけれど、最後にむすめをハグし背中をさすりながら心の中でこう唱える。

「だいじょうぶだよ。」
「大好きだよ。」

言葉に出して伝えていないのに、ハグした後にはいつもむすめから、
「なんか、ありがとね。」
と伝えてくれる。

「こちらこそありがとう。」



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