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20代の時の人生観 その②(縁談話)

断捨離により、どっさり出てきた20代に思いつくままに書かれていいるノート処分にあたり、今62才。今回②はこんな事を思っていたんだな~私自身が親になり、もう大人になった息子と娘の母でもあります。20代に親との対立?批判、私自身、決して自信をもっての子育てではなく、試行錯誤での子育てだったな~という思いもありますが、こう生きてほしい!という物は常に同じ思いで来たように思います。そして20代、自分が思い考えたことは実践してきたつもりではあります。子どもにとって、親を時に見習い、時に反面教師、最終的には自分自身がどうしたいか、どう生きたいかというところにたどり着くのだと思います。

🍀昭和57年1.7(金)(22才)(西暦1982年)
昨晩母と話をしていて、あ~話こまなければ良かったと思ったり。
母が私に言う。
「あなたは案外と繊細だから、なるべくきつい事、傷つくことは言わずに今まできたけど、それは間違えだった。お兄ちゃんには相当きついことを言ったけど、明子にはずいぶんと気を使った」と。一体何をいってんだと。傷つくこと多々言われたぞ!
「こんな子供の事を思う、一生懸命考える親はいないわよ」と続いた。
そうかもしれない。一生懸命なのはわかる。しかしをれを言われる私はどう受け止めるべきか考える。そう言葉にして言われることによって、ものすごく重荷に感じる。ひどく・・・・今我が家は平和で普通の家庭であると思う。不幸だなんて思わないし、もし少しでもそんな事を思う気持ちを持ったらバチが当たるのではないかとも思う。今の平和に感謝したいと思う。けど、母のような結婚はしたくないと思う。当時は仕方なかったのかもしれないけど、自分の結婚話を語る時に、一度も好きになれなかった。仕方なく結婚したけど、こんなものよ。
だけど、私自身は人間として生きている以上、結婚に限らず、そういうむなしい気持ちを持ち続けて、最終的にあきらめて納得なんて、そいういう結婚はしたくない。中学か高校くらいからか、母の仕方なく結婚したとか、仕方なくという言葉、話を聞くようになったのは・・・と人の批判はこのくらいにしておかないと、自己反省なくしては、向上しようと思う気持ちが、自分の考えは正しい などと、思いかねない。親に対してこり固まった考えは嫌だと批判していながら、自分がそうなってはいけない。
時間を無駄に使わないようにしよう!自分の記録を残していこう!
今のままの自分であってはいけない。
今年は飛躍の年にしよう!!⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎以上(ここまでは22才の日記)


20代前半、私には21才の転機がありました。
私は栄養短大を卒業後資格の栄養士として一年働くも退職。結局、親の敷いたレールをそむくことなくある意味いい子?できたタイプ。父母は10才差で、父の結婚が遅く当時は55才定年。私は短大でギリギリで、しかも明治のような感覚の親、女の子に学問はいらない。それより、良い嫁になるよう、とりあえずはお金のかからない短大でという事から、当時は県立であった栄養士の資格とれる短大。これも実は薬学部なんぞ行きたいと高校は理系コース選択。しかし私の能力は国立はほど遠く、私立なんて行かせられるわけないでしょ!とすぐ却下。そこで国立行くぞ~とならない自分が甘ったれだったのですが、大学に行くなら、資格にこだわってもいたので栄養士ならいいか~となったのでした。しかし、流されていった自分は根性なしでした。親に言われた通りの自分にも反発心。退職後、就活していた矢先になんと、縁談。まさに明治時代です。21の私に、こんないい話はない!と両親大喜び。仕事辞めたばかりでちょうどいい!と、もろ手を挙げて喜ばれ、しばし、親からは毎朝、私が、断るというと激怒!そして、毎朝、母からは、
「自分がどんな美人だとでも思ってるの?もらってくれるという時が、女の子は一番なのよ!好きになれないなんて、あなたがわがままだからよ!」
「どこが不満なの。学歴、会社申し分ない。好きになれない事があなたがおごっている証拠!謙虚さがないから!謙虚になりなさい!反省しなさい」
という言葉を朝に、晩にと・・・・。そして反省、謙虚さを求めて、日々考え込む私なのでした。
しかし、ある時、私に、まるで神が下りたような感覚で
何を怖がっているんだ。人が、あなたは幸せよ!と言われても、自分自身がそう思っていなければ不幸なわけで、全ては自分の気持ちなんだ!
当時は、親の意向に沿わず、失敗などすると、「だから言ったでしょ!」
「いう事きいてればこうはならなかったわ」などと言う言葉にある意味恐怖を感じていました。要は自立心にかけていたのです。でも神が下りた(笑)瞬間、失敗も、苦労も自分で納得してるかしてないかだから、この先、どんな不幸になろうと、今自分がこの選択を親に言われて仕方なくなんていうのが最も不幸。納得していけば、決して後悔はない!そう心底思えるようになったのです。万が一将来、子どもがいたとしたら、仕方なく、とか、そんなもんよ!という事言いたくないし、そんな事を言う人生はまさに不幸だ!
とにかく、何度も書いてますが、自分自身が納得する人生。それが、本来は親も子供に望むべき幸せなのではないかと、思いを全部親に言うと、父は激怒!しかし、とにかく説得。そして母がポツリと、「明子に幸せになってもらうつもりで進めてきたけど、そうではないなら・・・」とやっとわかってくれました。しかし母の一言「断ったら、私に欠陥があるからとか、これ以上の結婚はもうないかもしれないから、それは覚悟しておいて」でした。
私は、もう気持ちは神が下りたので強気!もちろん!!当たり前!!
まだ21歳。結婚なんてさらさら考えてませんでした。けど、その時、山口百恵さんが21才で結婚したので、母、山口百恵だって21よ!なんてよく言われました。今はもう笑い話です。
そして、次はもしかして、結婚しないかもしれない前提で、とにかく就職先でした。定年まで働ける仕事探しとなるのでした。次回へ。
(その③)↓

約40年間に再就職の仕事、そして納得の結婚しました。新たな仕事、子育てしながら仕事etc今も自営業継続現役中で、老後準備に入る。で、21才の転機のお話でした。




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