見出し画像

名もなき人たちの実況

 実況というものは面白い。
 リアルタイムで繰り出される言葉の中には、名言と呼ばれるものがある。

 例えば、オリンピックのアテネ大会。
 体操男子団体で金メダルを獲ったとき、NHKの刈屋富士雄アナウンサーが放った

「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」

 は、冨田洋之選手がピタッと着地を決めた瞬間が、自ずと頭に浮かんでくる実況の名言だ。
 こういった名場面にふさわしい一言は、素人になかなか言えるものではない。

 だが、今や世界中の人々が、実況中継さながらに、スポーツや番組を見たときの思いをSNSで発信している。

 ニコニコ動画は、そういったSNS的な実況の走りではないかと思う。

 投稿をしたことはないが、私はニコニコ動画をよく見ていた。
 視聴者のコメントが、画面の右から左へ勢いよく流れていくあの様子は、ニコニコ動画を見る醍醐味の一つだ。

 中にはコメント職人みたいな人までいて、見た人が思わず吹き出してしまう面白いコメントを、絶妙なタイミングで残していく。文字で作られた絵のような、アートっぽいコメントもあり、見ている方は呆れるやら関心するやら、良い意味での《才能の無駄遣い》というものを満喫させてもらった。

 あの、画面に浮かび上がるコメントは、まさに名もなき人たちの実況だった。

 もちろん、良いコメントばかりではない。
 動画に対する中傷コメントだけではなく、コメントした者同士で言い争っていることもある。名乗らぬ人が集まり、自由に発信すれば、どんなコンテンツでも諍いのようなことは起こる。

 それでもニコニコ動画を見るのは楽しかった。

 私が特に好んで見ていたのは料理動画だ。
 プロの料理人や料理研究家が発信するコンテンツは、どうしても《楽しむ》より《習う》感覚で見るものが多い。モチベーションが上がっているときならいいが、そうでないときは、少し、その一段上からの教えがしんどい。

 しかし、ニコニコの料理動画の場合、そこに「こうやって作るんですよ」といった教えはない。
 料理好きの人が、それを見てもらいたくて料理を作り、動画を投稿している。そこには《教え》よりも先に、投稿者たちの《楽しさ》が伝わってくる。
 そんな気安さのおかげか、料理をするのが面倒なときに、ニコニコの料理動画を見ると、不思議とモチベーションが上がり、料理をする気分になった。

 もちろん料理動画にも、コメントは流れる。

「うまそー!」
「食いて―!」
「オレの嫁になってくれw」
「いいや、わたしの婿に!」
「いやいや、俺の!」

 映し出される料理映像にかぶさるコメントは無音ではあるが、とても賑やかだ。
 そんなやりとりを眺めながら動画を見ていると、一人のときも何となく、寂しさを感じずに済んだ。

 動画を見ているだけなのに、ニコニコ動画には他の人と繋がっているような、不思議な一体感があった。あのマニアックな楽しさは、ニコニコ動画ならではのものだと私は思う。

 これが生放送ともなれば、視聴者の一体感はより高まる。

 藤井聡太六冠が将棋棋士になる前から、ニコニコ動画は将棋放送に力を入れていた。その番組作りや取り組みは、私のような、将棋を指さない「観る将棋ファン」を世に生み出した一因でもあった。

 それらの将棋生放送の中でも、私が忘れがたいのは、2019年に行われた第60期王位戦だ。このとき王位の座についていたのは当時、名人だった豊島将之九段。挑戦者になったのは、木村一基九段であった。

 私は木村九段のファンで、このタイトル戦をかじりつくように見ていた。
 これまでタイトル戦に6回挑戦しながらも、涙を呑んできた木村九段にとって、この第60期王位戦は悲願のタイトル戦だった。7番勝負は最終局までもつれ、後手の木村九段が、先手の豊島将之名人から、王位のタイトルを奪取した。

 先手が投了した瞬間、画面を覆い尽くすほどの祝福コメントが流れた。

 画面からは、湯気が立ちそうなほどの熱いコメントが寄せられている。
 その熱気にあてられ、私も思わずコメントを打ち込んだ。
 興奮していて、何を書いたかは忘れてしまったが、あのとき確かに私も、コメントで実況をする、名もなき人の一人だったのである。

 

 
 



 


この記事が参加している募集

将棋がスキ

お読み頂き、本当に有難うございました!