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そういうことでもいいのなら#02『天使になりたかった』

春というのはどうもきつい。

街ゆく人がまだ厚手のコートを羽織っていようとも、お構いなしに空や草木はどんどん春の仕様に変わっていく。

周りの役者や音楽家、絵描きたちもちょうど同じ頃にうつ病のような症状を訴え始めるので、きっと私に限ったことではないのだと思う。


それは陽が少し長くなった頃だろうか。

それは暑がりなあなたの寝相が悪くなり始める頃だろうか。


一月の後半くらいから、毎年必ず体調を崩し出す。


光が痛くて眉を顰め、誰かの足音でさえも攻撃的に感じられ思わず耳を塞ぐ。

この世の全てが、痛くて痛くて、たまらないのだ。


そんな頃になると友人が「そろそろあんたの辛い季節やな」とこちらの不調を当ててみせる。

私はこの時期になるといつも決まって「街が、草木が、人が、全てがうるさくて気が狂いそうになるんだ」といった話をしているらしい。


山伏、登山家、木こり。山に入る知り合いが数名いるが、そういった人の中にはこの感覚をよく理解してくれる者も存在する。

そんなある人から「みんな春っていうと三月、四月のことを指すと思うだろうけど山は一月になればもう春で、草木が叫び出す頃なんだよ。その叫びは自分が芽を出せるかどうか不安がっているようにも鼓舞しているようにも取れる。そして桜が散る頃ようやく安心したように葉を揺らす。みんな夏が来るまで心許ない。人も植物も、春は不安で、春はうるさいものなんだよ。」と言われたのにはとても納得した。


そういった叫びやうるささに身を削られ、この一週間、ろくに飯も食えていない。

もしかしたら己の肉体そのものが、叫んでいるのかもしれない。

固形のものを口にするとすぐに吐いてしまうので、一日一回、スープをミキサーにかけたものを舐めている。


数日間家での現像作業しか入れていなかったことはせめてもの救いだった。
仕事以外はカーテンを閉め切って、飽きもせずずっと寝室に閉じこもって眠っている。


こんな時は小さな光でも泣きたいくらいに痛む。
ほんの少しの物音でも刺すように痛む。
それは全てが敵だと錯覚しそうなくらいで、刺激に耐えるだけで精一杯だ。

家の中だというのに耳栓とアイマスク、サングラスが必須のそんな生活を送っている。


浮き出た肋骨が布団に擦れて痛い。
流石にそろそろ働こうと、身体を起こして仕事に取り掛かろうと寝室を出た時。

私から白い羽根がふわりと落ちて、床の上で西陽に照らされた。

寝過ぎたせいか、羽毛布団の羽根が部屋着に付いていたらしかった。

「天使みたい」と思ったら、少しだけ身体の強張りが和らぐ。


そういえば取引先の無理難題をにこにこと引き受ける時、多くの大人は私のことを「天使」と呼ぶ。

「小岩井さん物腰柔らかいし腰低いし、無茶言っても快く引き受けてくれるからうちの部署ではみんな『天使』って呼んでるんですよ」と笑われたこともあった。

「天使なんかじゃないです」と言うと「矢沢あいの漫画じゃん!」とからかわれるし
喫煙所で煙草を吸っていると「天使なのに煙草吸ってる」なんておちょくられるので、私自身はあまりそれを好ましく思っていなかった。


誰かの都合に合わせてばかりの天使でいるくらいなら、私は人間を辞めて、ちゃんと天使になりたかった。

今でもたまに、そう思う。


でも酷使してやつれた己の身体からこうして羽根が落ちる時くらい、私は本当に天使にでもなれたかのような気になって、ほんの少しだけ何かが柔らかくなる。


そういえば、漁師の父はたまに頬や髪に鱗を付けていた。

特に「あたまはたき」と呼ばれる、魚の頭を棒で殴って失神させる業務がある時期は、顔中鱗だらけでキラキラしていた。


私から羽根が落ちても天使じゃないし、父がいくら鱗にまみれても人魚にはなれなかった。


どうせならちゃんと、天使になりたかった。


でも今世じゃそうもいかないようなので羽毛を借りた天使として、こうして苦しんだり呻いたりしながらも、人間としての業を真っ当していくことにする。

人間なりに、人間として、天使。

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