突然死

多くの人は死ぬ時苦しみたくないと思っている。突然死したいと大抵の人は言う。私もそうだがそうはならないだろう。いろいろな自分の思いを残したまま死ぬのがもったいない。心をまっさらにするには他人との接触をせずお餞別としてお世話になった人、ないしこれから社会に出る人にあり金をあげてしまうと心がすっきりする。
物欲が消えないのが苦しみの1つだが、あるお金持ちの女性は持っているもの大部分を始末して介護付きのマンションに入居した。それで心がすごく軽くなったという。一番嫌なのはじいちゃんみたいに苦しい苦しいと呻いた後死ぬ。そうなるかと思うと死ぬのは怖い。死ぬ時苦しくなければ、それより楽しければ死を嫌う事は無いはず。死ぬ時マ-ラ-の5番、ベ-ト-ベンの英雄、ステファンハウザーのCarusoとかガンガンかけて欲しい。あの世に行った途端自分は透明人間になっているのでお墓なんかいらない。

 突然死はそう簡単にやってくるものではない。私は何十人かの患者の死を見てきたが正式な意味での突然死になった人を見てはいない。病気になっていて話をしていたら急に死ぬのは突然死とは言わない。
 突然死のほとんどは心臓のリズムの異常で脳に血液がいかなくなって死ぬ。私が診ていた患者さんで入浴中に亡くなった人が3人いるが、これは高齢、末期がんであり、なるべくして心臓が止まったので突然死とは言わない。
 突然死のほとんどは心臓のリズムの異常(心室頻拍、心室細動)で脳に血液がいかなくなって死ぬ。止まったので溺れた時はちょっとの間苦しかっただろう。一瞬か二瞬フアッとして頭が下がって水を少々飲んだかもしれない。脳出血を起こしたかもしれない。
 このまま暖かい湯船の中で死んでしまいたいと思っていたら神様が心臓のリズムを狂わせてくれた。今がそうなればラッキー!

 昔、同じ病棟で働いていた全く健康と思われていた30歳代の男性医師が朝勤めに来ないから職員が自宅に訪ねに行ったら布団の中で死んでいた。前日は普通に働き、挨拶をしてそれぞれの宿に帰っていった。私はそのようなもう一人の若い男性を知っている。2人とも生前にわからなかった心臓の電気的な異常があったはずだ。健康診断で40代くらいになると心電図を取ることになっているがそれより若い人は対象にならない。突然死を予測できる心電図所見があるが、かなり小さい変化なので心電図の自動解析では出来ない。その異常所見がくりこまれていれば可能ではあるが。

 突然死した場合、事件性が考えられれば司法解剖になり事件性がない場合は行政解剖になる。死んでしまえば切り刻まれても痛くないから、いいやと考えるが生きている時自分が解剖になると考えるのは怖い。なぜかと言うと自分もその他大勢と同じ臓器を持っていたなんて!でもこれも死んだらわからない。
 
 突然死できなければ次は老衰で死にたいとういう。それは理想だろうか?
老衰は死ぬまで多くの人を巻き込む。人間の尊厳まで失わせてしまう尿糞便!家庭で介護する側では始め私は天使かしら?とか思っている間はいいが、月日が経つとこの人死んでくれないかと悪魔ではない当然の誘いが入ってくる。

 癌死が多くなってきているが癌死は悪くないという人もいる。死ぬ時を予想できて予定が立てられると言う。そんな立派な人っているのかな、大抵うろたえる。これは老人には良いが若くして死を迎えなければならない人はどれほどの苦しみか。若い人は絶対突然死だ。
 老衰・癌死とも死ぬまでに時間があるので寝たきりになり前に述べたようにトイレに起きられなくなり他人に尿と糞便の世話をしてもらうことになる。お金を払ってやってもらっていればそれほど気にはならない。肛門から何か出た感じがする、即しまつができると限らない、タイミングが合えば良いのだが。

 介護を職業としている人はイコール下半身の処理が仕事の中心であり後はおまけ。人の便の始末など当たり前で手袋とマスクをするので臭いなどどうということもないという。そうか!これで深夜勤務として1000円もらえると思うと嬉しい。
 家族は無報酬でやっているのでたまらなくなってしまう。一回ごと嫁に500円残ったお金から握らせたらよい。
 病気の末期で患者が苦しんでいる時、医者は「案外これって本人は苦しくないんですよね」とか他人事のように家族に言って鎮静薬や痛み止め薬を処方してもらえない場合、人間の誇りも自分の存在も忘れてしまわなければならない。
 私は糞便の処理ができなくなったら死のうと思っている。しかしどうやって死ぬのだ。日本では安楽死は認められていないが自殺は法律には触れない。自殺後に大きな波乱が待っている。
 いつもどの時、どのタイミングでしたらよいかと考えている。
死ぬ瞬間については誰も触れず語られもしない。エリザベス・キューブラー=ロス(独:Elisabeth Kübler-Ross)が死ぬことについて書いた。この人は話たくないものを文章で綴った。

 私はひと昔前ならとっくに死んでいる年齢だ。現代は長生きするため理想的なものがこれでもかこれでもかとテレビのコマーシャルでやっている。食べ物、野菜、果物、乳製品、肉類は皆新鮮でおいしいものが手に入るし、テレビで昔の映画も見られるし、テレビ体操もある。トイレ、風呂場にいたる所まであたためられ暑い時にはクーラーがあり、そしてお金は人によって多少異なるが世界一の医療体制が確立されている。
 体調が悪いとか言って医者に診てもらっていれば死亡原因の見当がつくので死亡診断書が書ける。私は死亡診断書を書いてもらう人を決めている。
死が近くなったら多くの人はその時には目をつむるが平均余命を超えたら医者に診てもらうこと。そうでないと犯罪と関係あるかもしれないので鑑別するために司法解剖になることがある。ただ布団で寝ているような平和な死に方をしている場合、行政解剖と言うものもある。が死んだら痛くないのでどうなろうと構うことはないと言えなくはない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?