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わたしの高校のはなし

高校に入学してからは随分と自由に平等に過ごすことが出来た。服装も髪型も自由、部活動へ入部する必要もない、授業中違うことをしていても特に注意を受けることも無かった。成績はテストの点数がそのまま反映され、生活態度を評価されることも無くなった。

もう一つ、高校に入学して初めて心から笑い合える友だちを見つけた。

まるさんだ。ちょっとぼーっとしてて、でもビックリするくらい大きな口を開けて笑う。私なんかよりずっと頭が良くて、冷静でものおうじしない。何より本が好きで、誰かと好きな作家さんの話で盛り上がれたのは初めてだった。二人で図書館に籠って、番号の若い方から片っ端に読みまくった。学校が休みの日は本屋さんに行き、面白そうな本のタイトルを頭に叩き込んで、学校の図書館のリクエスト欄に書きまくった。まるさんとはとにかく趣味が合って、映画も沢山みに行った。二人とも作られた物が好きでドキュメンタリーや自叙伝にはあまり興味がなかった。誰かの頭の中で作られた、そんな世界感を見るのが好きだったのかもしれない。

そんな楽しい高校生活はほんとにあっという間に過ぎていって、

気付けば高校二年の秋

になっていた。将来何がしたいかよりも何が出来るか、現実を再確認するいい機会だった。
私が現実を見つめているとき、クラスメイトたちは夢を語っていた。進路指導室で、この大学のこの学部に入ってこんなとこでアルバイトをして、こんな会社に入ってこんな仕事をしたい。そう目を輝かせ、先生に現実を見ろと諭される。そんな姿が妙に眩しく羨ましくうつった。

まず、私の大前提はお金がかからないこと。就活に苦労せず、転職が難しくなくて、絶対に無くならない仕事、ある程度の休みとお金が貰える仕事。私が出した現実的な答えは

「看護師」

だった。

「お前が看護師選ぶとは思わなかったな」

進路指導室に赤本を取りに行ったとき、たまたま居合わせた当時の担任が話しかけてきた。

「なんか看護師いいなと思ったので、、それとも好きなことが出来る大学に行った方良いですかね?」

軽口をたたくように、ずっと誰かに聞いてみたかったことを口にした。好きなことをやるべきか、と。

「お前のやりたいことは本当にやりたかったら就職してからでも出来るだろ。まず手に職つけておけ。」

良い大人だったんだな、この人は

そう思った。こんな先生にあたった私は幸せだったのかもしれない。今まで無理に関わって来ることも余計なことを聞かれたことも無かったのに、模試の第4志望に冗談のように書いた有名私立大学の文学部、その意味を理解してくれていたのかもしれない。もしくは今更志望校を変えるなっていうただの助言で、深い意味は無かったのかもしれない。それは今になってはもう分からない。

ただ、わたしが今でも夢を抱きながら生きて行けているのはあの時の担任の言葉があったからだと思っている。

言葉というのは不思議だ。

言葉を発した人の意図と受け取った人の受け止め方は必ずしも一致しなくて、意図せずに人を苦しめることも、救うことも出来るのだから。

続く

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