海辺のカフカを読んでいた頃には、帰れない。 筆をとったことへの、多少の後悔。

こんにちは。

常々、考えることがあります。
このことを、何となく記したいと思います。

僕は、日々小説を書いていたり、花子出版のnoteを書いていたり、又は何かを表現しようとしていたりしています。

しかし、こうやって時間をさいていますと、ふと我に帰る事があります。


筆を握っていなかった自分には、もう帰れないと・・・。


小説を書き始める前の自分は、終業後や休暇の際、自宅のソファに寝そべり、又は喫茶店に赴き、本を読み漁っていました。村上春樹先生の『海辺のカフカ』を印象的に覚えています。少年と一緒に、いえ少年になりきり、四国へ向かっていました。
それらの読書体験は、一人で城を築いているような作業であったように思えます。決して、外向きではなく、自己の世界の創造。

時がたちまして、ふとしたきっかけから、小説を書き始めました。小説を書くとなりますと、下調べや現地に赴いたりと、小説に付随するものを常に考えてしまいます。noteも同じようなこと。このネタを広げよう、あの本について書こうなどなど・・・。

これに伴い、読書のスタイルが一変してしまいました。

勿論、文学を読んで楽しんではいます。はーっと、感情を揺さぶられることが多々あります。しかし、この書き方はうまいなあ、でしたり、この展開は素晴らしい、でしたりと、自己の執筆に役立てようと意識している部分が少なからずあります。

執筆のために、本を読んだり、ネタを探したり、題材の現地に赴いたりとしていますと、本当の楽しさを享受出来ていないのではないかと、疑心暗鬼なることがあるのです。読書の醍醐味は、もっと別のところにあるような気が・・・。
まあ、決して過度なものではありませんが、そうですね、心に小さな靄が浮かんでいるような感じです。

と、ツラツラと感情を書きましたが、これすらも枝葉末節なことかも知れません。ですが、人生の通過点として、記そうと思います。
何故なら、今も小説を書いていますし、未来も書き続けるでしょうから・・・。


画像1


花子出版   倉岡


この記事が参加している募集

読書感想文

文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。