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幸せは足元に転がっていた

こんにちは。

先日、ホテルに泊まることがありまして、そこでNHKのBS番組を見ました。僕の家にはテレビがありませんので、ホテルに泊まる際のテレビを見る時間がちょっとした楽しみでもあります。地方へ行くと、地方ならではのテレビ番組が放映され、長閑な時間の流れに、心が恍惚なります。決して、地酒を飲み過ぎているのではありません!

BS番組にて、タイの識字率についての話がありました。番組内では、タイの識字率は80パーセントと放映されていました。ネットで調べると、もう少し高いようです。数値の話は置いときまして。


識字率が低いために、感染症対策をいかにして行うか?


この問題についての取り組みです。

うーん。難しいですね。

新聞や広告ではいけません。即効性が必要ですので、言葉を指導する時間はありません。又施設にて教えるとなりましても、密になりますし。


結果ですが・・・



アニメーションを使おう、となったようです。日本のアニメーターがタイに行き、手洗いやマスクの重要性をアニメーションで伝える。素晴らしい試みですね。

一方で、日本の識字率は100パーセント程。国民の全員が、平等に、言葉を認識できるわけです。

脈々と受け継がれる教育の賜物でしょう。

これは、果てしなく幸せなことです。教育を受けたくても、受けれない人がいるなかで、僕らは文豪方が残された本を読み、noteに記載された先鋭な記事を読み、新聞を読み、広告を読み、ネットニュースを読み、SNSを読み、ラブレターなどなどを日々読んでいるわけですから。

識字の行為を幸せと思えるならば、転がっている空き缶に印字された文字に幸せを乗せることが出来ます。

以下、お茶の缶を見て考えること。

「ほうほう、この空き缶の茶葉は、熊本県の茶葉を使っているんだ。熊本県は九州のどんなところだろうか」
「ほうほう、何気なく飲んでいたが、ビタミンCも入っているんだなあ」
「お、投稿俳句が載っているじゃないか。へー、良い俳句だなあ。何!? 12歳が作った俳句だ。素晴らしい」


まあ、極端ではありますが。

いずれにせよ、多角的に物事を考えますと、彼方此方に幸せの種が眠っているんですよね。

全てに、ありがとう。

淡く考えさせられる、出来事でした。


書きました小話を、一読頂けますと幸いです。日々のお口直しに。




文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。