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裸の王様と犬

犬を剥製にすると言う人に会ったことがありますか?

私はあります。

仮にその人のことを「裸の王様」と呼んでみます。王様は上半身は裸ですが、自分が半裸だと言うことに気づいているのか気づいていないのか、よくわかりません。

王様は城の外では、割と人々に親切だったりするので、評判は悪くはありませんでしたが、城の中ではというと、それは微妙なところです。

城の中の人が「ずっと王様の半裸を見続けるのは、いかんせんしんどいので、少し何かお召しになってくれませんかね」と言うと、「ああ?わしは今のこの格好を気にいっとる!わしの城じゃ!わしの好きにさせい!」と吠えました。

城の人々は王様に吠えられるとびっくりして、せっかくの寿命が縮むので、もう言うのはやめよう、と諦めました。

全裸じゃないだけありがたいと思わないといけないのかもしれません。

ある日、王様が猫可愛がりしていた犬が死にました。古漬けにした茶色い大根をさらに天日干ししてカリカリにしたような、もうこれ以上は、、、というような老犬でした。

王様はなんたって王様ですから、老犬の排泄の介助や食事の世話などはもちろんなさらず、犬を洗ったことも爪を切ってやったことも耳を掃除してやったこともありません。城の中の人がおこなってきました。

王様は、一方的な寵愛(ちょうあい)担当でした。犬も王様を慕っていたのかはわかりません。

20年くらい生き、目が見えず耳も聞こえなくなった老犬に、城の人々は「とても長生きしたね」と城内に穴を掘り、自然に返してお別れしようとしていました。

すっかり悲しみに暮れていた王様は、老犬の喪失を受け入れられませんでした。

王様は「剥製にして、ずっとわしのそばにおらすのじゃ」と言い出しました。

城の中の人たちは、「王様がご乱心じゃ」と慌てましたが、王様は老犬を診ていた獣医に「剥製にするのじゃ!」と連絡しました。

獣医は「何を馬鹿なことを」と言うのではなく、「剥製じゃないけど、そっくりなぬいぐるみを作ってくれるサービスがありますよ」と代替案を提示。

いやいやいや、代替案ではなくて、止めてください先生。と城の中の人は思ったのですが。

しかし、王様はそれから、ご乱心がおさまったようで、剥製製作令を進めることはなく、獣医から紹介されたぬいぐるみも作りませんでした。

おとなしく老犬を城内に掘られた穴に寝かせて、お別れすることができました。

めでたしめでたし。

何の話?

私の親の話です。

剥製なんて!狩人じゃあるまいし!うちは博物館じゃないし!と思い、念のために「犬の剥製」をインターネットで検索すると、あるのですね。

お金を払えば飼い犬も剥製にできてしまう。市場経済における自由な競争ってすごい。

心の穴を埋めたい需要があれば、その穴を満たそうとする供給があり。喪失感ビジネスなんて言ったら意地悪かもしれないけど、求める人がいて、与える人がいて、当然の営みなのだろう。

剥製の値段はというと、想像以上にびっくりするものではなかった。100万円とか取られるのかと思ったらそこまでしなかった。親切な事業主なのか、昔ながらの価格を維持している小さな町工場みたいな感じなのか、私は詳しく見なかったので知らないのですが。

「冷凍庫に入れて保存してくださいね」みたいな文言を読むと、何だかそれ以上詳細を見る気がしなくて、ホームページを閉じた。

冷凍保存している白米とかカレーの横にうちの犬を入れるのは考えられない。すでに古漬け切り干し大根な老犬だって、おいおい、もう静かに寝かせてくれよと思いそうだ。

猫や小型犬が20万円くらい。サイズが大きくなるたびに5〜10万円くらいアップしていくようだった。

山小屋の壁にかかってるイメージのシカとかクマの頭、キツネの剥製とか、あれらは20万円とか30万円とかかかってたのか。考えたこともなかった。

こんな大金を死んだ犬を剥製にするために払うなら、動物の保護施設で殺処分直近の犬を引き取るとか、どこかに寄付するとか、何か別のことに使ってくれないかな、だって、もう、うちの犬は死んだんだし。

そう、思っても、私は父には言わなかったのですが。犬は死んだ後にそんなことされても嬉しくないと思う、と言うようなことくらいしか私は言えなかった。

喪失感でいっぱいの本人にとっては、私の言葉は何の慰めにもならないでしょう。家族の一員が亡くなった時に、「1人減ったし、じゃあ、どこかから困ってる人を、ちょっくら1人もらってこよう」とはならない。当然だ。

だけど、私には相手の気持ちになって考えることができなかった。今の私も相当に未熟な人間だけど、当時はプレミアム未熟な人間だった。

だから、「剥製」と言い出した父に、驚いて、正直ゾッとした。意味がわからなくて、寄り添うことなんてできなかった。

犬の世話もしてこなかったくせに、と私は父に対して怒りを覚えた。偉そうに腹を立てている私も世話をしてこなくて、全てはマザーテレサ、じゃなくて、我がマザーが何もかもをやっていた。

裸の王様と、プレミアム未熟な怒りん坊娘と、あちこちで粗相をする古漬け切り干し大根な老犬と、私が保護施設から引き取った無表情な野良犬と、全ての世話を我が家のマザーがしていた。申し訳ない限りです。

マザーには、いつか天国に行ったらVIPルームからお茶を片手にかりんとうを食べながら地球を見下ろして、スイートルームでマッサージを受けながらゴロゴロしてほしい。勝手に天国に押し付けるのではなくて、私が今感謝を示して何かしてあげればいいのだろうけど、いまだに未熟なもので。

元々、父は動物に興味がある人ではなかった。今もないと思う。

しかし、なぜかその犬は偏愛するようになった。出かける時には常に連れて行き、車の助手席に同乗させ、寝る時は自分の寝室で寝かせ、行動をともにするようになった。

そして剥製にしたいと思うほど、古漬け切り干し大根になった老犬に愛着が生じてたようだった。

私は「剥製」を父が本当にやりかねないと思って焦った。とにかく誰かに阻止して欲しかった。

だけど、獣医さんはそういう悲しみに暮れる人たちに寄り添うことに慣れていたのかもしれない。だからかどうかはわからないけど、ぬいぐるみのおすすめをした(ぬいぐるみも何十万円もするから勘弁してほしかった)。

そして父は剥製もぬいぐるみも選ばなかった。死んだ犬を手放すことができた。

きっと、我がマザー(彼の妻)のうまい対応があったのだろうと思う。腹を立てる私と違って、彼女は裸の王様の取扱上級者、熟練の伝統工芸職人のような人なので。多くは語らないけど多くを知っている人なのだ。

私の両親は、まだあの世に行ってはいないので、この文章が彼らの目が黒いうちに触れないことを祈るばかりである。

スマートフォンで「剥製」と打つと、勝手に自動変換で「白菜」に直されて、「犬を白菜って、なんでやねん」とiPhoneをどついたことを最後に記して終えようと思います。

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