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すみれ先輩を待っている。

青と紫が移りゆく中で、すみれ先輩を待っている。
市民公園の古ぼけたベンチで、少し重い端末を握って、風に揺れるブランコを見ていた。どうせあの人は遅れてくるのだ。そして、もうすぐ。
『みて、薔薇だよ。あとふた月くらいで咲くかな』
震える端末に、芽生えたばかりの薔薇が映る。美しく整えられた丸い枝。きっと、先輩の家から出て直ぐの大きな大きなお屋敷だ。あそこは、むかしから腕の良い庭師がいるらしいから。
『写真、また指入ってますよ』
メッセージを送れば、返信はすぐにきた。
『急いでたんだよ。藍に会いたいから』
きっともう打っていたんだろう。先輩はそういうところがある。わざと間違えて見せるのだ。少しだけとぼけて、わたしに「しょうがないなぁ」と言わせる。遅刻常習犯の悪い癖だった。
『どうせ遅刻するくせに。わたしに会いたいじゃなくて怒られるからでしょ』
「バレてら!」と、名も知らないのに見慣れてしまったキャラクターのスタンプが送られてくる。返信も、すぐできてしまう。
『でも』
『遅刻しなかったらびっくりするよね?』
それは、言えていた。

先輩が来る少し前、公園に放送が流れた。
〈終末まであと20日です〉
閉園を知らせていたはずの電子音は、いつしか世界のそれを告げるようになっていた。宣言されたのは、半月くらい前のこと。街のあちこちに規制線が張られていたのも束の間、もう、止められない崩壊は至る所で起きている。

電子音が止む頃、先輩は小走りでやってきた。
「待った?」
「なにを当たり前のことを」
えへへ、とたいして悪びれない先輩は、わたしの手を取ってすぐに歩き出す。公園の中心にそびえる大きな木に向かって。

「藍は終末ってどうやってくると思う?」
木をえぐる大きなうろを覗き込んで先輩は言う。ざあ、と葉が揺れるような音を立てて、穴の淵が崩れていた。
「見たままじゃないですか」
みんな知っている。突然空中に、地面に、海面に黒い穴が開いて、そこに世界が崩れ落ちてゆくのだと。だから、規制線を張ろうとしていたのだ。それでは到底追いつかなくなって、いつしか止んでしまった。
「あたしはねえ、小さな黒い穴には実は種が植ってて、終末の日にぶわって丸ごと、草が覆い尽くしちゃうんじゃないかって思ってるんだよね」
「え?」
神妙な顔をして言うようなことだろうか。
「いやでもロマンに欠けるなあって思ってて。藍はどう?」
じい、と丸い瞳が見つめてくる。
わたしは、これに弱かった。
「…………崩れていく世界は本当は小さな花びらの集まりで、終末の日までにぜんぶ、散るんですよ。知りませんか?」
先輩の瞳がひと回り大きくなる。
「て、天才!」
すごいよお、間延びした声で叫ぶと、先輩はわたしの手をぶんぶんと振り回した。いつもそうだ、そんなに、喜ぶことではないのに。

「ねえ!」
先輩は笑顔のまま、振り返る。
「あしたはどこで待ち合わせよっか?」

***

崩れゆく世界は花びらなどではないから、ゆるやかに空は灰色になっていく。

灰色が特別濃い街境。

その日も先輩は遅刻した。
今日送られてきたのは、半身を失った桜の木だった。『奇跡的に咲いてる!』と寄せられたそれは、なぜか花と葉が一緒に咲いていた。ぜんぶ、やっておきたいなんて、先輩じゃあるまいに。わたしの脳裏に映るのは、「終末までに行きたいとこ、全部行くよ!」と叫んだあの日のすみれ先輩だった。

「日が進んだからさあ、川が見てみたかったんだよね」
肩に葉をつけて登場した先輩は、ところどころにできた溝で渦を描く水面を見ている。黒い渦の中心は少しずつ大きくなり、ふたつのそれがくっついてしまった。
「あと何日だっけ」
「2日ですよ」
「んー、どこがいいかなあ」
まるで、新学期が始まるまでの日数みたいだ。その日には、わたしも、先輩もいないのに。全部行く、と言っていたはずの彼女は、すでに両手の指を折り曲げている。それを全て回るのはきっと無理だ。
「……夢でも先輩と待ち合わせないといけないですね」

ぴたりと手が止まって、先輩が振り返る。天才だと、言わんばかりのにこにこ顔だった。
「じゃあ、ずっと一緒だ」
折っていた指をほどいて、先輩はわたしの手を握ってくる。指を絡められて、すこし、そうすこし、驚いてしまった。
「やっぱり藍は天才だ。そうだよ、夢で会おう。そしたらあたしたちは消えるわけじゃない、ただ待ち合わせていただけだって言える」
ロマンだなあ、とすみれ先輩は顔を綻ばせる。
「夢も終わりゆく世界も地続き、だなんてロマンじゃない?」
先輩の眉がゆるく弧を描く。まるで、終末なんてこないみたいに。
「待っててよ」

「それで、あたしが少しだけ遅れると思っていて」





ツイッター企画、春の創作ワンライ、で書いたものです。20分オーバー。お題は「待ち合わせ」「芽生え」。

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