価値観の違うパートナーと、これからも上手くやっていく方法。
「そんな小さなことくらいで...」
「いやいや、普通やって。」
「別にいいやん。」
何度、言われたことか。
そう言われる度に、
「私って心狭いな..」とか、
「小さい女だな…笑」とか、
「確かに、しょーもないか..」とか。
そう思ってきたのだと思う。
いつの間にか、記念日は記念日に祝うものではなくなり、誕生日も「おめでとう」を言われるものではなくなり、「七五三」や「あらゆるお祝いごと」は、世間一般のものであって我が家のイベントではなくなった。
18年。
思えば長い。
いつの間に、私は「私の価値観」を失っていたのだろうか..。
37歳の誕生日、「おめでとう」の一言が無かったことがきっかけで、「旦那とのこれからの付き合い方」を見直すことになるなんて思ってもいなかった。
(これはとある夫婦の実話の物語である。「好き」という理由だけで自分の価値観よりも相手の価値観を優先するようになり、常に自分を責め、いつの間にか自分の価値観の大切さを見失ってしまった方のヒントになると嬉しい。)
そもそも誕生日は全力で「おめでとう」を言うものである。
私は子供の頃から「誕生日は祝うもの」と教えられてきたか、「家で誕生日ケーキを食べた記憶があまり無かった」かの、どちらかだと思う。
「自分がされてきたから、相手にもしたい」のか、「自分がして欲しかったから、相手にしてあげたい」のか、の両極端のように思う。
誕生日にはケーキを用意し、ロウソクを立てて、バースデーソングを歌って、フーっと吹き消すものであり、それは18歳からの付き合いでもある旦那ともずっとしてきた。
誕生日前日の23:59:50からカウントダウンが始まり、「3、2、1、ハッピーバースデー!!!」なんてキャーキャー騒ぐことも、ほぼ毎年だった。
そんな些細なことが、私にとってはとても大切なことだったのだと思う。
「もう、大人なんやし。」
そう言われた時は、「そっか。そうだよね..」と思う反面、悲しかったのかもしれない。
旦那と私。「当たり前の世界」の違い
2003年の10月。18歳。
私は旦那と付き合うようになってから「現実」を知り、「これまで生きてきた私の世界」は、間違っていたのだと思うようになった。
安定した家庭環境、学校から帰ると家で家族が迎えてくれる環境、晩御飯は家族みんなで食べるのが当たり前で、宿題は両親に教わるのが当たり前、成績優秀が当たり前、運動できて当たり前、クラスのみんなに慕われれて当たり前、イベントには誘われて当たり前...。
そんな「当たり前」の世界で育ってきた旦那は、たくさんの人からの愛情をもらって育ち、完璧なほどの「自分」を持っていた。
そんな、「クラスの人気者的存在」だったキラキラした旦那が、「世間一般的に見ると不幸そうな私」を受けいれてくれたことが嬉しかった。
「これで私も普通になれる」
本気でそう思っていた。
(今となっては特に不幸だったとは思わなくなったが、旦那の育ってきた環境と比べると孤独で可哀想な子供時代だったとは思う。)
なんで、私が誕生日に描いた絵本を私が保管しなきゃいけないんだ?
よほど感謝していたのだろう。
付き合って初めての誕生日から5年間、
毎年「手書きの絵本」を描いていた。
「釣る気もなかったのに、エサもつけてなかったのに、勝手に釣れた」と笑いながらよく言っていた旦那と私の出会いを、そのままイラストにして無印の小さなスケッチブックに描いてプレゼントした。
今年はこんな1年だったね、とか。
受け入れてくれてありがとう、とか。
そんな事を毎年、色鉛筆で描いた。
(年々、レベルが上がっている..)
毎年、嬉しそうに読み、読んだあとは「これ、なおしとって(保管しておいて)」と言う旦那に、違和感を感じるようになったのは4年目。
「なんで、私が描いた本を私が保管しなきゃいけないんだ?」と思った。
「自分の大事なものなんだから、自分で大切に保管してほしい。」と思って、
それを伝えた。
「え、別にいいやん。」
いやいや、良くはない。
良くはないけど、そんな小さなことにこだわる私に「しょーもない」や、「そんな小さいことでいちいち...」と言い、不機嫌になる旦那の方が嫌だった。
一生懸命、旦那の立場に立ち、旦那だったらどう感じるかを考え、「確かに、そんなことでいちいち言われるとめんどくさいよね」とか、そりゃ不機嫌にもなるよね、と自分を否定し、旦那を全肯定した。
そうすることで、私が一番嫌な「旦那が不機嫌になる」事態を回避してきたのだと思う。
直接「別にいいやん」と否定されるのは辛いから、
自分で言い聞かせていたのだと思う。
直接文句を言われたときのダメージは大きい。
自分で言い聞かせた方が傷は浅い。
そうやって共に過ごして18年。
いつの間にか、
私の頭の中には
旦那の言葉が住み付くようになった。
※この2つは、後に
旦那攻略ポイント
として考察し、旦那が悪い訳でもないし受け入れる必要もないことであると私なりに分析している。
私が誕生日にあげた「BURBERRYの名刺入れ」は、今私の鞄の中にある
21歳のとき、社会人となる旦那にBURBERRYの名刺入れをプレゼントした。
大阪のホテルで働いていた当時。仕事帰りに大丸梅田店のBURBERRY専門店に買いに行った。
黒色のシンプルな名刺入れ。
これまで名刺入れなんて持っていなかったので、きっと毎日使うものだから…と選んだ名刺入れ。
丁寧にラッピングしてもらい、絵本と共にツヤツヤの紙袋に入れた。
誕生日当日の寝起きサプライズにしようと、枕元に置いてプレゼントした「名刺入れ」は、
今、私の鞄の中にある。
大事に使わせてもらっている。
愛用している。
10年以上使っているが長持ちしている。
悲しい…。
悲しいが、これが私にとっての「現実」。
誕生日プレゼントにあげたはずの名刺入れは、「おぉ!ありがとう」の言葉と共に、その辺に放置され、使う様子もなかったので私が回収した。
その話をしても覚えてはいない。
もうこの頃には、「贈り物は大事にされない」と私も思うようになり、プレゼントをする意味もわからなくなった。
今思えば、これが最後のサプライズだった。
価値観の違いは育ってきた環境の違い
何故、こうなったのか?
そうコーチに言われて、ドキッとした。
※このnoteを書くきっかけになったのは、私のライフコーチに何気なく話した「誕生日祝ってくれなかったくらいでモヤモヤしててさ~あはは。」的な話だった。そんな世間話からこんな深い深層心理の話になるなんて、さすがコーチである。
学生の頃から「クラスの人気者」だった旦那は、よくモテた。次々と彼女ができ、誕生日やバレンタインには、よく知らない人からも贈り物が届くのが当たり前のシステム。
学生の頃付き合った期間は最長3ヶ月。
短くて2時間だったそうだ。
昔の旦那の同級生からは「めっちゃひどい奴だったから、はなちゃんよく付き合ってられるわ~」とよく言われていた。
旦那にとって、誰かと長く付き合うのは私が初めてだった。
その事に改めて気が付いたとき、「こんな私の気持ちを踏みにじるようなひどい旦那」なのではなく、「元々そんな奴」であり、「そもそも誕生日にもらったプレゼントを大切にする」ことを知らなかったのでは…?と思った。
親や家族、友人の愛に恵まれていた旦那にとっては、プレゼントをもらうことは貴重なものではなく、「あーはいはい」と受け取るほどの価値の薄いものでしかないのかもしれない。
18歳~36歳。
私の18年に及ぶ旦那の観察記録によると
ざっとこんな感じである。
それに比べて私は
ざっとこんな感じである。
この時点で、大きく差があり、お互いが「自分の考えは相手も持っているだろう」と無意識に思っていたと思う。
大切にされたくて、ずっと頑張ってきたみたいだ。
「誕生日に"おめでとう"の一言もなかった」
それは、ほんとに小さなことだと思う。
37歳にもなって「誕生日祝ってもらわなかった」とブツブツ言うのは私くらいかもしれない。
「子供か!」とか、「もう大人なんやし」とか、「そんなしょーもないことで怒るとか、おかしいでしょ」とか。
そう思うことで、自分に言い聞かせて、旦那や世間を正当化させる。
そんなことを笑いながらコーチに話すと、
と言われた。
そう言われたとき、
涙が込み上げてきた。
ラジオの収録中だった。
自分でも理由がわからず、ポロポロと涙だけがこぼれた。
「あー、ごめん。ちょっと収録止めていい?」
しばらく、何も言えなくなった。
なんで、私、泣くんだ?
わからなかった。
そう言われても、よくわからない。
「私、無理してたのか…?」
そう思った。
あー…。まさにそうだ。
「誕生日に祝ってもらえなかった」
そんな些細なことで、喧嘩なんてしたくないし、めんどくさい奴とも思われたくない。だから、旦那が言いそうなことを先に自分に言い聞かせて、旦那の価値観を優先して自分を納得させ、「旦那に言われて傷つく」ことから自分を守っていたのだと思った。
「傷つく」とは、攻撃を受けて痛いだけではない。
「悲しさ」や「淋しさ」も、
「傷つく」の一種だと改めて知った。
そう思うと、これまでの過去、
ほとんどのことを諦めてきていたことにも気が付いた。
「〇〇してほしい」は、あまり叶うことは無く、
ほとんど諦めてきた。
「〇〇してほしい」はワガママであり、それを伝え続けると旦那が私を大切にする気も失ってしまうから、諦めた方が丸く収まる。
そう思っていたのだと思う。
「いつか大切にしてくれる」と願って18年
そもそも、いつから無理をしてきたのだろうか?
どうして、「〇〇してほしい」を諦めてきたのか?
それはきっと、「〇〇してほしい」を願うと、めんどくさい奴だと思われて、捨てられる恐怖を味わった過去があったからだと思う。
18歳からの付き合いだが、
2回別れて3回復縁している。
「捨てられる恐怖」を1度味わい、
「自分から別れた後の失望感」も1度味わっている。
それが強烈だったのか、「この人と別れると後悔する」「捨てられると生きていけない」と思うようになっていたのかもしれない。(今はあまり思わない。別れる予定は無いが、もしそうなったとしてもその時はその時で上手くやれると思えるようになった。)
だから、自分から「もっと大切にしてよ!」と思うこともなくなり、「いつか心から大切にしてくれる日が来るといいな」と願うようになったのかもしれない。
そして、いつからか「旦那軸」となった。
私の性格上、自分の言いたいことは言ってしまうけれど(黙ってられない性格)、結局旦那に丸め込まれて(理論で丸め込む性格)、自分の意思よりも旦那の意思を優先し、旦那の立場に立って物事を考えた方が、丸く収まることを知り、「自分で自分を納得させる術」を無意識に習得してしまっていたのだと思う。
その根底は、「大切にされたい」ということに、その時気がついた。
願うのは諦めた。
18歳からの付き合いで、もうすぐ19年目を迎える。
「大切にされたい」と無意識に願ってきた私の想いは、なかなか届かない。
いつしか言葉にすることもなく、勝手に諦めていた。
「でも、旦那的には大切に思ってくれてるらしいんよね。年々、大事に思えたり可愛いと思えるようになってきた、とは言ってくれるんだけど…」
その通りだ。笑
旦那がどれほど私を大切にしてると言ってくれていても、私には「実感」として味わえていない。
誕生日に「おめでとう」の一言もないなんて有り得ないと思ったし、それを伝えると「週末にお祝いするから別にいいやん」と言われたときには、「まじで有り得ない。それほど私には価値がないんだな」と思った。
「大切にされたい。」
たったそれだけ。
それを願ってきたけれど、伝えれば伝えるほど、めんどくさいと思われるから、もう諦めていたことにやっと気が付いた。
「伝えても、もう無理だろう…」と、無意識に思った私に気付いたかのようにコーチは続けた。
そっか。
なるほど。
でも…、
「わざわざ伝えなきゃいけないのか。笑」
そう思った。
私と旦那では価値観が違いすぎる。
何も言わなくても分かってくれる..という夢のような価値観ではない。
そんな二人がこれからも共に生きていくには、お互いの価値観を知った上で、お互いの理想を伝えあっていく以外方法はない。
正直…、
めんどくせぇ!!!笑
18年も一緒にいたのに、自分の理想を伝えることが出来なかったのは、私自身が「自分の考え」を明確にてきていなかったから。自分よりも旦那の気持ちを優先するあまり、自分の理想なんて、わがままだと思ってきた。
でも、今となっては少し違う。
私は私の考えや自分の主張に気づくことができるようになり、自分のことを旦那と同じように大切にできるようになってきた。
確かに、価値観は違う。
その価値観の違いは育ってきた環境によるものなんだろうな...となんとなく思うようになった。
ここで…
【旦那攻略ポイント】を分析
してみると、
つまり、誰も悪くないのだ。
育ってきた環境が違いすぎたため、お互いの「価値観」、つまり「大切にしたい事」が違っただけ。
これからは、願うのではなく育てる
私は、究極のポジティブ思考だ。
きっと、そうでなきゃ生きてこれなかったのだと思う。
そう育ててくれた母には感謝している。
ただ、マイナスなことも全てポジティブに考えてきた結果、自分の本当の気持ちさえもポジティブに変換してしまったり、相手の立場に立つことを優先してしまって、「自分の悩みに気が付かない」という謎の現象までおこってしまっていた。
今回の件は、単純に「大切にしてもらいたかった」ことである。
そのことに気が付くまでに18年かかった。
自分のこだわりよりも旦那のこだわりを優先することで「大切にされたい自分」を満たしていたのだと思う。
と言うより、
「傷つけられて悲しい思いをする」という最悪な事態を避け続けてきたのだと思う。
今はまだ18年目。
これから先、30年以上も共に暮らすのだと思うと、私の価値観を伝え、大切にして欲しいことも伝え、私が一番心地いいと思える人になるように育てるしかないのである。
元々の価値観が違うのだから、仕方無い。
常識や一般の恋愛論、世間の意見なんて、どうでもいい。
私のことを伝え続けて、私のことを知ってもらい、私の取扱いのプロになってもらうには、何度も伝えていくしかない。
そう思えた私は、誕生日の翌日、「今日、仕事どうだった?」といつものように聞いてくれる旦那に「誕生日におめでとうの一言もなくてモヤモヤした1日でした」と言った。
「まだ言うてたん?!もう大人やで!」と笑う旦那に少し傷ついたが、まぁいいやと思えた。
そして、
「私は80歳まで全力で祝ってほしいんですーー!!」
という事も伝えた。
そして、その翌日…
サプライズなんてしたことのない旦那。
伝えることで、ひとつ私好みの旦那さまに成長し、幸せな誕生日となりました。笑
まだまだ18年。
先は長いですが何度も何度も、気長に伝え続けようと思います。
あとがき
8000文字にもなるエッセイ、最後までお読みいただきありがとうございます。
私のエッセイは全てノンフィクションであり、私の実体験から気付いた思考を元に書いています。
そんな私は、「ライフコーチ」をしています。
エッセイ同様、実体験を元にお話する経験豊富タイプのライフコーチです。
私が言う「経験豊富」とは、
クライアントさんの「やってみたいこと」や「在りたい姿」を一緒に探し出し、「本当はしたいのにできない理由」を
ひとつづつ紐解いていきます。
初めは自分の在りたい姿が「わからない」と言っていたクライアントさんも、3ヶ月~半年も対話を重ねると、心のブロックが外れだし、「自分なりの考え方」をご自身の言葉にできるようになってきます。
自己啓発本を読んだり、占いで自分を知ったり、
人からの意見で自分を知ることもいいことだと思います。
でも、それは「私はこうだったのかー」と納得して、安心して、そこで終わってしまうのかな、と思います。
(私がまさにそうでした)
次に不安が出てきたとき、また新たな占いや専門家の方の情報を探して「あなたはこうですよ~」と誰かや何かに認めてもらって、安心する。
ずっと同じことを繰り返すのではないでしょうか?
それらは、外から「探す」ものではなく、自分の中から「掘り出す」ことだと思っています。
「私はこんな性格であり、こんな気質も持っていて、だからこそ、こんな生活がしたい」と明確に決め、それを口に出したり実行していくことで自分が目指している心地よさに近づきます。
それができないのは、世間の価値観や一般論のハードルをつくってしまい、それに沿わなければ叶わないと思ってしまっているからだと思います。
夢は、意外と叶います。
自分で叶えればいい。
心からそう思えるためには、「自分の考え」を受け入れてくれる人や場所をみつけて、何度も何度も「自分の考え」を話し、それが受け入れられて自信になる..という経験を積むことかな、と思います。
家族でもない、友達でもない、上司でもないライフコーチ。あなたの人生がどうしたら心地良くなるか?を本気で一緒に考えるパートナーです。
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