『君と夏が、鉄塔の上』読書感想文


「神になりたい。」

 中学 3 年生の時の私は,そんなことを考えていた。友達もそんなにおらず,休み時間には居場所である自分の席を守る日々。間違って離れてしまうと,私の席までクラスメイトのたまり場に飲み込まれてしまっていた。そんなときにはひとりで,建て替えのため校舎を取り壊しに来ていた重機を,廊下の窓から眺めていた。重機が恐竜みたいに見えて可愛かったのだ。


 居場所など気にせずに生きたかった。私の存在なんて忘れてほしい,でも存在はしたい。だから自分の世界でただみんなの様子を見守る神なら,と思ったのだ。


 「私も神様になれたりする?」と言う帆月に自分を重ねた。神様になれば,苦しんでいることから逃げられる。しかし,帆月は違かった。彼女が苦しんでいたのは「忘れられたら死んじゃうのと一緒」「忘れられたくない」というもの。人との関わりが苦手で「忘れられたい」と思っていた私とは,正反対だった。帆月の苦しみは伊達の言葉で消える。「鉄塔は繋がっている」「鉄塔を見れば思い浮かべるし,忘れることはない」と。帆月が大切にしたい繋がりが,見つかったのだ。


 私は,似ているようで違う帆月の苦しみを通して,自分の苦しみについて理解することができた。「忘れられたい」と思っていたのは,自分ひとりの世界で満足していたから。人と“繋がる”楽しさを知らなかったから。思ってみると,大学生になってからは「忘れられたい」と思ったことはない。今の私は人生で一番楽しいと思っている。それは,学科やサークルでたくさんの人と関わり,繋がる楽しさを知ったからだ。そして新たに気づいたことが,帆月と伊達の“鉄塔”のように「共有することによって繋がり続けることができる」ということだ。私があの時ひとりで見ていた重機も,重機を同じように可愛いと思う人に出会い,「あ,あそこに野生の重機がいるね。」と笑い合うこともある。重機を見るたびにそれを思い出し,なんだか幸せになる。


彼女たちの夏を覗いたことで,自分に足りなかったもの,得ることができたものに,明確に気づくことができた。私も“鉄塔”を見れば彼女たちを思い出す。同時に,あの中学 3 年生だったころぶりに,この読書感想文を最終日まで残してしまったということも思い出す…。この夏改めて気づけたことを大切に,繋がり,覚えていてくれる人たちとのこの瞬間を大切にしたいと思えた。


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