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そこまでプライベートをさらす必要があるのか―カナダ、ケベックの中絶事情

この記事を書こうか考えた時、ふとそういう考えが頭をよぎった。以前、どこかのブログで「ブロガーというものは、多かれ少なかれ自分のプライベートを切り売りするものだ」と書いた。

でも、実際に、どこまでネット上にさらすかという話になると、だれだって公開したくない境界線がある。

実際に手術を受けるまでは、記事に書こうなんてこれっぽちも思っていなかった。しかし、無事に手術が終わり、一日を終えた時、書きたい気持ちがむくむくと湧き上がってきた。書きたい、というよりも、書かなくてはいけない、伝えなくてはいけないという、ヘンな使命感すら感じた。

こういう話題はとてもセンシティブで、こんな話は読みたくない聞きたくないという人もたくさんいるだろう。私だって、流産したばかりの20年前の自分なら、こんな記事はとうてい読めなかった。

それでも、この話は私にしか書けない、そして、書くことによって誰かに勇気を与えることができるのだとしたら、書かなくてはいけないと思った。だから書いたのです。

カナダ、ケベック州の中絶や避妊事情は、他の先進国と比べてもかなり発展していると、夫はいう。

ひょんなことで、それを身をもって体験することができた、一人の日本人として、この記事が書けたことは(英語版もあります)誇りに思っているし、自分が今まで書いた文章の中で、すくなくとも最も意義のある作品の一つだと自負している。

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